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2024autumn
個人会員に聞く!
第7回 関研一氏
インタビュアー 末永信一(専務理事)
今回の「個人会員に聞く!」は、千葉工業大学未来変革科学部の学部長であり、また、製品開発プロセスマネジメント、音響振動設計、熱設計といった分野を研究されています関研一教授にお話を伺いました。関さんは私がソニーに勤めていた時の盟友でもあり、四半世紀に渡るお付き合いをさせていただいております。関さんからの依頼で、年に数回、実務経験に基づいたプロジェクト・マネジメントのエッセンスを講義させていただいており、今回はその講義の後、関さんの教授室でインタビューをさせていただきました。
イントロダクション
末永)この教授室は、ずいぶんといい眺めで、なかなか癒されますねぇ! お、成田エクスプレスが走ってきた…。
関)いやいや、末永さんと話をしている方が癒されますよ~。
末永)またまた、そんな褒めてくれても、何も出んよ(笑)
関)そ~ぉですか??(笑)
関)先ほどは、ご講義、ありがとうございました。いつも分かりやすい内容で、さすがです。
末永)こちらこそ、ありがとうございます。
関)今日のクラスは経営工学系の新学科の学生たちでしたが、手応えはいかがでしたか?
末永)いや~、毎年思うけど、反応が良くて、頼もしい学生さんが多くて、いいね。こっちもついつい楽しくなっちゃって、しょっちゅう脱線しちゃうよ(笑)
関)そうでしたか、それは良かったです。
末永)私が学生の頃には考えもしなかったけど、起業したいと考えている子や将来をちゃんと見据えている子があんなに多いのは、すごいね。まずは市場調査をします!だなんて言葉が出てきて、おー!偉いなぁ、ちゃんと考えているなぁと驚いちゃいました。
関)最近、そういう子が増えてるんです。それだけに学生にとって、外の人が経験に基づいた話をしていただけるというのは、とても刺激になるので、感謝しています。
末永)むしろ、こちらのほうが元気をもらっている感じだよね。
関)それにしても、末永さんはいつも元気ですね?
末永)ええ?そうかな??
関)この前も、大阪の音響学会の研究発表会にも参加されていましたし。
末永)ああ、オーディオ協会って、じっとしていてもインプットがほとんどないところだから、出掛けて行って話を聞いてくるようにしないと、と思っているのと、出掛けて行けば、いろんな人と会話できるし、新たな出会いもあるじゃない。
関)そのフットワークの良さは、本当に昔から偉いなぁと思ってて。幅広いジャンルの方々と常に会話をされていて、受け入れの間口もとても広い。
末永)いや、自分だけではやっぱり限界があるから、他人様の力を遠慮なくお借りしてるというだけの話よ。
関)それは、オーディオ協会において、すごい影響力があることと思っていますよ。
末永)ありがとね!
関)末永さんつながりで、いろんな人を紹介してもらって、刺激を受けていますし。
末永)ま、まだまだ小さいけど、オーディオ協会というコミュニティーそのものが、付加価値になってくれたらと考えているので、今日もこのインタビューを通じて、興味深い人が個人会員にいるんだぞ!ということを、存分に知らしめてください。なんだか先ほどから私がインタビューされているような感じだから、巻き返そう!
関)お手柔らかに(笑)
末永)はいはい!
オーディオとの出会いは?
末永)まず、皆さんに、子供の頃や青春時代のオーディオの思い出なんかを聞かせてもらっているんで、そこから始めましょう。
関)私は男三人兄弟の長男なのですが、私たちの子供の時代、母が三人とも無理やりピアノを習わせたのです。毎週の暗譜がつらくてつらくて(笑)。それでも幼稚園から中学に入るまで続けていましたので、お陰で音楽は好きになりましたね。
末永)なるほど、音に関する英才教育が実ったわけですね。
関)あと、小学生の頃に電子工作なんかも好きでしたね。<さび鉄ラジオ>の製作にチャレンジしたことがあるんですよ。
末永)何??<さび鉄ラジオ>って。
関)え、知らないですか? 「初歩のラジオ」に載ってたんですよ。
末永)(スマホで検索して)へぇ、鉱石の代わりに錆びた鉄を代用したんだ…。知らなかったなー!
関)でも、これはかなり微妙なものなのでうまく受信できなかったんですけどね。そういったものに大変興味がありました。ボールペンにラジオが入ったものをもらって、その辺からどんどんラジオの魅力にはまって、中学生になってスカイセンサーを買って、BCLにはまりましたね!こんな話でいいんですか?
末永)いいよいいよ!面白いじゃん。しかし、知らない話ばかり出てくるよー(笑)、ボールペンにラジオが入ったものって、何それ?!1970年代に、ボールペンのサイズにラジオなんか、入らないでしょ??
関)どうなってたんでしょうね?でもあったんですよ!
末永)(また、スマホで検索して)おお、出てきたね。
関)これこれ!
末永)へ~~!ラジボーって言うんだ。
関)ボールペンでしょ?
末永)ほんと、ほぼボールペンサイズだね。
関)片耳のイヤホンで聞くんですけどね。
関)小学校の高学年の時には、スピーカーを作ったんですよ。
末永)アンプはどうしたの?
関)放送委員だったので、学校の放送室にあるもので自由に遊ばせてもらっていました(笑)。きっとその辺が、私が人生に渡って、音に関わる仕事をしてきた原点なんでしょうね。
末永)メカ屋になったくらいだから、木を切ってエンクロージャーを作ったりするのもお手の物だったのかな?
関)そんなに凝ったことしなくても、家にお茶の入った木箱がたくさんあったんで、そういうのを使って組み立てていましたね。
末永)時代だねぇ。じゃあ、もっぱら手作りがオーディオの思い出??
関)中学も後半になると、自分の部屋に当時流行っていたコンポが欲しくて、父に買って欲しい!と、あれこれ主張していました。その時に、もう少し待ったら、CDというデジタルオーディオの時代が来ると父が言ったんです。私は理解できないから、買ってくれない言い訳なのかなと思っていたのですが(笑)、その後、CDのマーケットが本当に立ち上がって、CDデッキも含めたコンポを買ってもらったんです。
末永)へぇ、お父さんも業界人だったの?
関)そうじゃないんですけど、好きだったんでしょうね。
末永)なるほどね。それでその頃、どんな音楽を聴いていましたか?
関)クイーンとかビリー・ジョエルとか、割と大人しい系ですね。
末永)ビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」は、世界で初めてCDになったアルバムだもんね。マイライフとかザンジバルとか、好きだったなぁ。
関)CDの音質もさながら、ビリー・ジョエルの音楽がカッコよくて、ほんとよく聴いてましたね。
最近の研究について
末永)じゃあ、次は最近の関さんの研究のことについて聞いてもいいですか?
関)いろいろあるんですが、音の話題としては、やっぱりサウンドスケープあたりがいいですかね。
末永)自然界の音の話ね。
関)実はサウンドスケープは、生物が発する音である「バイオフォニー」、人間が生み出す音、生活の中で起きる音である「アンソロフォニー」、風や水などの自然由来な音の「ジオフォニー」の3つに分類されるものなんです。
末永)なるほど、そういう分類があるんですね。自然界の音だけじゃないんだ…。
関)私は長年、エンジニアとして人工の音「アンソロフォニー」のデザインを担当してきましたが、大学に移って、生態系や、環境の専門家とのコラボレーションを通して、「バイオフォニー」や「ジオフォニー」の領域に研究領域を広げてきました。
末永)お祭りの音を収集している人がいますが、それは「アンソロフォニー」の一部って訳ですね。
関)そうなんです。文化遺産的な音を収録・収集する活動も、サウンドスケープの分野においては、メジャーな活動ですね。
末永)それで、よく南房総市に行かれているのは、どういう目的で?
関)千葉工業大学は、南房総市と産学協働地域活力創造事業という、地域の課題解決や地域づくりの取り組みをやっていまして、たくさんのプロジェクトがあるんですが、サウンドスケープとしては、海辺の波音や森の静けさを観光資源として町おこしに活用してもらおうということを考えています。
末永)いいですね。自然につつまれている時の音って、心が落ち着くし、景色が見えるような音ってあるから、それはいい活動になりますね。
関)そうなんです。まさに、自然音・環境音って、リラックス効果があることが分かっていますし、ウエルビーイング(心の豊かさ)という視点から、人間が自然の一部であるという感覚を取り戻すことに重点を置いています。
末永)以前、ハイレゾオーディオは、何故いいのか?という話題の一つとして、昔々、人間も動物と同様に森の中で生活していて、森の中にはたくさんの高い周波数が存在していて、それは人間にとってとても気持ちのいいものだったと。CDでは20kHzまでしか周波数が含まれていない一方で、ハイレゾオーディオにはたくさん高い周波数が含まれているから、それが違うんだ!って話があってね。だから、是非周波数帯域の広い、いいマイクで収録してもらいたいなぁと思ってるんです。
関)そういうところも、オーディオ協会のお立場から、いろいろご教示いただきたいです。
末永)うちの会員さんには、そういう専門家もたくさんいるので、今後つないでいきますね。
関)ありがとうございます。
末永)あと、サウンドスケープは、立体感という点でもすごくいいコンテンツだと思っていて、ある意味立体音響の価値を分かってもらう一番いい手段じゃないかとも思っているところなんですよ。
関)おっしゃる通り。自然の中にいる感じの音体験は、しっかり音に包まれた気持ちになり、最も感動できるものと思っています。方向性に関する情報量も多く、立体音響の特徴は、サウンドスケープと相性が良いと私も思っています。現地の感動を、リモートで体験して頂いて、実際に現地に行ってみたい気持ちになってもらいたいんですよね。末永さんには集音、編集、再生と、ぜひ一緒に考察いただけるとありがたいです。
末永)こちらこそ!
関)あと、実験施設もぜひ見学してもらいたいので、紹介させてください。千葉工業大学は、様々な領域の音響系の教員が十数名いる、珍しい大学だと思います。大学自体の歴史も長いのですが、学内に音響情報フロンティアグループという集まりがあって、長年活動しています。キャンパスの中に、音関連の各研究室が共同で使っている実験設備があります。こちらの建屋には、音響計測のための音響物理実験スペースと、視聴実験に用いる聴感実験室が入っています。
末永)それはすごいですね。興味深いです。
関)こちらの無響室は、メーカーにある環境からするとコンパクトですけど、楽器から放射される音の研究であったり、立体音響の定位の研究であったり、少し前ですが、家電の騒音の低減による高品質化なんてことをテーマに研究をしたりしていましたが、色々なことに活用されています。
末永)おー、それはそれは、たくさんのテーマをこなしていくのも大変そうですね。
関)そうなんです。音声、聴覚、電気音響、建築音響、騒音・振動制御、デジタル信号処理、心理音響等、音響学と、広い分野の研究室が使用していますので、いつも予約で一杯なんです。
社会人になった頃
末永)関さんは、確か中途でソニー入社なんですよね。何年にソニーに?
関)1992年の6月ですね。
末永)私は1990年の4月の中途入社だから、ほぼほぼ一緒だね。
関)当時、中途入社でも入社式があって、実は、私は盛田さんから入社式で訓示をもらった最後の世代なのです。
末永)ああ、そうなのか、私は盛田さんに挨拶なんてしてもらわなかったなぁ。
関)「人生は一回きりなので、入社して、もしつまらなかったら、すぐ辞めた方がいい」と言われましたね。でも、様々な部署を経験して、ずっと楽しくて、結局20年以上もソニーで働くことになりました(笑)。
末永)その前は自動車会社でしたね。
関)そうです。当初は乗用車の設計部の所属でしたが、色んな車種の横串な活動で振動騒音の研究に携わっていました。特にトラックのアイドリングの騒音を低減する取り組みが印象に残っています。小型トラック関連の研究は色々とあって、トラックの振動解析の論文をデトロイトの自動車学会で発表したのが、初めての学会発表でした。
末永)へぇ~、すごいねぇ。
関)その頃は、コンビニが全国に立ち上がる時期で、夜中にコンビニに搬入するトラックが、駐車場に止めて荷下ろしをする際のアイドリング音が社会問題になっていたんです。
末永)やっぱり制震合板を使ったり、緩衝材を入れたりして抑えるの?
関)もちろん、そういったアプローチは色々ありますが、音圧に着目して騒音を抑えるだけではクレームが収まらなくて、これは「嫌な音」ってものがあるんじゃないか?という観点で、振動騒音実験や設計の取り組みが業界としても積極的に始められた時代だったと思います。
末永)なるほどね。
関)その音の種類を定義づけしていくのも、なかなか大変だったんですけどね。
末永)どういう風に扱ったんですか?
関)測定では人の聴覚特性も考慮したメトリクスを使うこと、設計では人の感性を数値化して、目標値として管理するようになりました。
末永)お得意の感性の定量化ですね!測定では、音の種類を分類し、設計ではその種類ごとに定量化された数値をターゲットにするわけですね。
関)そうですね、この頃から今に至るまで、このあたりのアプローチは一貫していますね。
末永)では、その辺は後でもう一度お聞きするとして、その後、ソニーに転職をされたわけですが、
関)ソニーの当時の技研(技術研究所)の方の講演を聞いたのがきっかけです。
末永)感銘を受けちゃった??
関)CDのピックアップの設計ロジックは、私が最初に担当したエンジンマウントの設計とほぼ同じだ!ってことで、CDビジネスに新しい貢献ができます!と10ページ以上もの職務経歴書を送って、必死な思いを届けました。
末永)じゃ、ソニーには技研に入社?
関)これが、技研は入社前に組織変更があって解散しちゃったもので、横浜のビジネスパークの情報システム関連の要素技術の方に配属されたんですよね。
末永)ああ、あったね、天王町のね。
関)コンピューターから実験室まで揃った職場で、それで、設計じゃなくてシミュレーションが専門になったわけです。スピーカーの材料の研究をされていた方々も同じ課におられて、色々勉強させてもらいました。
末永)今まで知らなかったけど、そういうキャリアパスだったんだ。
関)望んで動いたわけじゃないんですけど、その後も、半導体事業部、ものづくりセンター、戦略部などなど経験し、色々と鍛えられました(笑)
末永)いや~、これは並大抵な精神力じゃないですね。
関)まあ、末永さんを始め、いい出会いがたくさんあったから長くやって来られたと思っています。
とあるプロジェクトで二人が出会う
末永)関さんと出会ってから、からこれ四半世紀の付き合いだと思うのだけど、
関)2000年前後からですから、そうですよね。
末永)初めて一緒に仕事をしたのは、プロジェクトの名前は忘れちゃったけど、試作をコンピューター上で進めることで、業務効率化を計ろうという活動があったんだよね。
関)そうでしたね。出井さん(当時、社長)がVAIOを始めて、社内のデジタル化を一気に進めようという流れの一環でしたね。
末永)そのプロジェクトの中では、私が設計の代表、関さんはシミュレーションを展開する実行部隊の代表って感じだったのかな。
関)そうですね。他にもけっこう関わっている人がたくさんいた大型プロジェクトだったと思います。
末永)ちょうど、TV放送もデジタル化される時期だったし、CPUもRISCチップになったりとか、私らはBlu-rayの試作を始めようとしていた頃で、とにかくシステムが複雑化することが見えていた頃でね。
関)確かに、そういう時代の変化がある頃でしたね。
2人が出会ったプロジェクトのターゲットであった
Blu-ray Disc Recorder初号機「BDZ-S77」
末永)で、私はその頃に管理職になったばかりで、そんな新しい設計をまとめられる人間が他にいないから、お前やれ!って、人事発令があってさ、いわゆるハズレくじを引かされたわけよ。
関)いやいや、適任だったと思いますよ。
末永)でも、部下たちの仕事の様子を見ていると、データをノートに手書きしている人がいたり、エクセルを使うくらいは常識になっていた時代だけど、そのノートの数字をまた打ち込んだりしているのを見て、なんでこんなに効率の悪いことやってるんだろうかなと思ってて、それだけに人の力に頼らない設計って、ちょっと夢があるなぁと期待してたところはあったかな。
関)まだまだそういう時代でしたね。
末永)まだIC化があまり進んでいなかったから、基板上にたくさん回路があって、発熱がすごいんで、機内温度上昇を抑えるためにファンで排気するんだけどさ。このファンの音がうるさいものだから、効率よく熱を逃がしてファンの回転をできるだけ抑えようといったテーマが一番真剣に議論していたし、思い出深いかな。
関)やりましたね、熱流体解析ですね。
末永)まあ、あのプロジェクトは理想が高くて、いい話ではあったんだけど、まだ当時のコンピューターのパフォーマンスじゃ、リアルに試作をした方が正確だったり、手っ取り早かったりってところもあったかな。
関)末永さんの気が短くて、そんなにサクサク進みませんよ~って、こちらも必死だったですから(笑)
末永)まったくもぉ、迷惑な人だったんだろうね、ハハハ。
関)いや、間違ったことを言ってるわけじゃないので、こっちも頑張らなきゃ!と思っていましたよ。
末永)それで、あれだろ、早く結果を知りたいから、なんとかしろよ!って迫ったって話だろ?
関)そう、「金ならいくらでもある!なんとかしろ!」って言われました。
末永)本当にそんな言い方した??
関)言われましたよ!もお、札束で往復ビンタを食らったみたいなもんです(笑)
末永)社長が後ろ盾のプロジェクトなんだから、お金はなんとかなるんだから、早く結果を出すことが何よりも大事だ、とか言ったんじゃないの??
関)いえいえ、そんな遠回しなこと言わずに、「金ならいくらでもある!」とドヤ顔で言われました。もう一生忘れない名言ですよ!そして、本当に研究費を分けていただいたおかげで、人員もどんどん投入できましたからね。
末永)言ったんだ(笑) まあ、そんな下品な…、ねぇ。
関)そんなことないですよ!男らしくてカッコイイな!と思いました。
末永)えええ、そお?
関)自分も言ってみたいなと(二人で爆笑)
末永)結果を出すためには、なんでもやらなきゃ!って思っていたかな。
関)末永さん案件だと、めちゃやる気になるメンバーがたくさん居ました。熱い時代でした!
末永)ありがたいね。いろんな顔が思い浮かぶなぁ。それがさあ、ある時まで本当に湯水の如くお金を使えたんだけど、2003年にソニーショックがあったじゃない。そしたら急に、金を使い過ぎだ!と問題視されちゃったんだよね。私の上司も部下もどんどんリストラされて。
関)えええ、そうだったんですか、あの時代はこちらも悲惨でしたね。
末永)あのプロジェクトもそのあたりで棚上げになったんじゃなかったかな。残された私が敗戦処理をやるしかなくて、味方してくれる人も少なくて、辛かったな。
関)はあ、そうでしたか。それでも、その後もまたちゃんとBlu-rayの商品化プロジェクトマネージャーをされたわけじゃないですか。
末永)そこを語り出すと長くなるから、それはいいんだけど、一方で関さんは、こんな状況にも関わらず、不貞腐れずにちゃんと成果をあげられて、2004年にソニーで最も活躍した人たちに与えられる<Sony MVP 2004>を受賞して、ああ、どんなに大変な状況になっても腐らずにやると、こういう賞賛を受けられるんだなぁと感心して見ていましたよ。
関)本人はエンジニアリングの仕事をしたいのに、マネジメントの仕事が多く回ってくるし、新しい何かを産み出す技術に、必死にこだわっていた時代でしたね。
いい音の評価
末永)それから5年くらい経ってたかな。ソニーのBlu-rayも高い評価を受ける様になった頃の話なんだけど、音質評価って多くは主観評価だから、どうしても説得力に欠けるって話があって、いい音の標準化を検討している人がいるらしいから話を聞いてみようと、ある部署を訪ねたことがあってね。そしたら、担当者の方が私の上司は関研一と言いまして、今日は末永さんが来られるからって、会いたいと申していたんですが、あいにく出掛けてしまいまして…、なんてことがあってさぁ。ここに居たんだー!と、嬉しかったんだよね!
関)そうそう、デジタル一眼レフカメラのシャッター音の心地良さを評価していた頃ですね。ありましたね。
末永)教えてもらった評価手順がまさにメトリクスでしたね。
関)シャッター音で言うと、歯切れが良くて、リズム感があって、撮りながらどんどん乗ってくるような気持ちにさせて、それでなおかつ撮れたと実感ができる信頼感を与える音という狙いでしたね。
末永)今言われた感性を表す言葉の数々がパラメーターとしていっぱい用意されていた感じかな。
関)複数の被験者に、ヘッドホンでシャッター音を聴いてもらって、音の印象が特定の言葉に当てはまるかどうか評価していくんです。
末永)そうでしたね。
関)あの頃は、カメラ、PC、TV、オーディオなど、音と振動にまつわる関係者を集めて、全社横断の活動をスタートしたタイミングでした。我々が入社した頃に芝浦にあった東洋一と言われていた無響室を参考に、新たな無響室を作って、様々な音響技術開発に利用してもらっていましたが、各事業部に共通する活動を様々な用途に活用していただける様にと、音響ラボを開設しまして、静かな環境で、音を可視化したり、音と振動を同時に計測したり、異業種でのアプローチも取り入れながら、ソニーらしいモノづくりを目指していました。
末永)妙に豪華な施設だと思っていたけど、そういうところだったんですね。
関)当時、世界一静かなデスクトップPCはここから生まれましたし、ファン騒音の音色を変えたり、ノイズキャンセリングであったり、音の面での差異化を徹底的に目指していました。私自身は機械系のエンジニアでしたが、信号処理の専門家や、音をデザインするメンバーなどと、垣根を超えた議論ができて、本当に様々なアイデアが出ていました。
末永)なるほどね。思い出深い製品とかありますか?できればオーディオ製品の話がいいんだけど。
関)では、グラスサウンドスピーカーですね
末永)グラスサウンドスピーカーね!ソニーらしい製品だったね。
関)これは、単純にいい音が鳴るスピーカーを目指したのではなくて、インテリア性に合った音が求められる製品だと思うので、それがどういう音であるべきかをかなり深く議論していましたね。
末永)やっぱりガラスのデザインに見合った透明感あたりが求められましたか?
関)そうですね。低音よりは高音の広がりみたいなところが特長になったかと。使われるシチュエーションとして、みんなで囲んでおしゃべりをしながらBGMとして使われるみたいなシーンが考えられていたので、当然360度に均等に音が広がらないといけないというものでしたね。
末永)一度、家に借りて帰ったら、家族に評判良かったのよね。おしゃれな生活感がイメージできる製品だったと思います。ま、ちと値段が高かったもので、手が出なかったんだけど(笑)
ソニー退職の頃に
末永)関さんは何年にソニーを辞めたんでしたっけ?
関)2016年ですね。
末永)その年の初めくらいだけど、本社の会議に一緒に出て!と上司に連れていかれたんだけどさぁ、なんとそこに関さんが居たんだよね。
関)私も、あの時、あ!末永さんだ!と驚きましたよ。
末永)会議の内容を聞いたら、なんか退屈そうな会議だなぁと思っていたものだから、関さんが居てくれたから出席するのが楽しみに変わったのに、3回目くらいだったかな…実は辞めることにしました!と挨拶されて、え~~?!とビックリしたよ。
関)そうそう、すみませんでした。末永さんが「金ならいくらでもある!」って言ってくれないから、もう仕事もないかと思って(笑)
末永)こだわるなぁ(笑)。でも、その頃は、私ももうセカンドキャリアを考えるようになっていたので、関さんがこの先どうするのかなと興味津々だったんだよね。
関)ソニーでは仕事が一段落したこと、親の介護、タイミングよく受け入れてくれることになったこの大学があったこと、人生ってまさに巡り合わせですね。ここ数年、新たな環境で職業人としては第三フェーズに入って、また新たな世界が見えてきたところです。末永さんがあの頃ソニーの内外に向けてハイレゾの普及に奔走されていたことは知っていましたが、今また新たな視点で業界を引っ張っている姿を見ると、私も頑張らなければと思う今日この頃です。
末永)う~ん、あの会議に出てなかったら、辞めたことも知らなかったかもしれないし、やっぱり運命的なものを感じるよね。
関)ほんとですね。
末永)お互いにソニーを卒業してからも、こうやって会話ができる関係で、本当に良かったと思っています。個人会員としてオーディオ協会にたくさん意見してください。これからも、よろしくね!
関)いやいや、こちらこそ!
最後に
私が専務理事になってすぐの頃、関さんから連絡をもらい、日本音響学会で「音のデザイン」の分野で活動をしているのだが、そこで取り上げられる技術が将来、製品につながっていくことを鑑みると、コーディネート役が必要だと思い、私のことを思い出し、また日本オーディオ協会にも興味を持ってくれたとのことでした。
実際のところ、私や日本オーディオ協会がそんなコーディネーターの役回りになれるかどうかは分からないけど、まずは関さんがオーディオ協会の個人会員になって片足突っ込んでみたら?とお誘いをしてみたところ、個人会員になってもらい、その後も多岐に渡る話をさせていただいています。
現在は研究職として、興味深いことに携わられていて、きっと我々の将来に大きな影響を与えてくれるものという予感がしています。そんな期待を持ってお付き合いしていきたいと思いますし、読んでいただいた皆様には、今回登場していただいた意味がご理解いただけるものと信じております。
個人会員プロフィール
- 関研一(せき けんいち)
1963年、東京都立川市生まれ
2016年、ソニー株式会社退社、同年、千葉工業大学入職
2024年4月より、千葉工業大学未来変革科学部にて現職
筆者プロフィール
- 末永信一(すえなが しんいち)
1960年、福岡市生まれ
2019年、ソニー株式会社退社
2020年6月より、日本オーディオ協会専務理事に就任