2024summer

個人会員に聞く!
第6回 君塚雅憲氏

インタビュアー 末永信一(専務理事)

2024年の総会をもって、君塚雅憲氏が16年間お勤めになった理事をご退任されました。本来なら、同じく退任されました相澤宏紀氏と一緒に、慰労会を兼ねてインタビューをさせていただこうと考えておりましたが、少し体調を崩されており、猛暑もあって、Zoomでの面談となりました。画面越しに見る限り健やかで、にこやかにお話しいただけましたので、ちょっと安心しました。

オーディオとの出会いはテープレコーダー

末永)お時間を作っていただいて、ありがとうございます。

君塚)こちらこそ!

末永)いろいろお聞きしたいことはあるのですが、最初は子供の頃のオーディオとの出会いなどお聞かせください。

君塚)知人がテープレコーダーに凝っておられて、まだ物珍しいものだったから、それをよく聴かせてもらいましてね。

末永)時代的には、まだカセットテープではないですよね。

君塚)オープンですね。実はレコードよりも、テープの方がステレオ式は先行していたんですよね。

末永)え?オープンテープに、音楽が入ったものが売られていたんですか?

君塚)そうですよ。けっこういい音がしていて、聴いていて楽しかったですね。

末永)そうだったんですか。 ところで、君塚さんがソニーに入社されたのは何年ですか?

君塚)1973年です。大学は機械科の卒業なんだけど、ソニーがビデオの開発をしている時代で、大学にリクルートに来られたソニーの先輩の話を聞きましてね。面白そうだなあと思って、ソニーに入りました。

末永)じゃあ、最初の仕事はビデオだったんですか?

君塚)いや、オーディオ事業部で、テープデッキの設計に配属されました。

末永)あらまあ、なんか先ほどの話とご縁があった感じですね。この頃はカセットテープですか?

君塚)いや、まだカセットにだんだん移っていく時代ですね。でも、すぐにカセットテープが主流になってきて、各社の競争が激しくなり、スマートなボタン操作にしようということでロジックコントロールなんて言っておりましたけれど、そんなこともやっていましたね。

末永)君塚さんと私は10歳違いになりますが、私がオーディオを意識し始めた時期というのは、実はFMラジオをエアチェックするのに、どんなカセットテープを使うのがいいのかを、パッケージを見たり、当時よくあったFM雑誌なんかに、テープの評判が書いてあったので、そんなものを読んだりして、どうもメタルテープというのは高域の特性がいいらしい!といった調子で、いろいろ買って試していた感じでした。

君塚)酸化鉄の層にクロムを塗布した2層のテープをソニーが開発して、低域から高域まで特性がいいDuadといった製品がありました。これはけっこう評判良かったんですよ。

末永)おお、なるほどですねぇ。今でこそ、なるほど!と理解できますが、その頃にそんな豆知識がちょっとでもあれば、もっと感激していたでしょうなぁ…。

カセットテープからDAT、CD-Rへ

末永)その後どんな製品を担当されたんですか?

君塚)1982年にCDが発売されて、テープの方もデジタル化する検討がソニーの中ではいくつかの方式で行われて、私はR-DATの開発をやっていました。

末永)R-DATでしたか。


DTC-1000ES

君塚)なかなか産みの苦しみがあってね。1987年に発売するんだけど。

末永)著作権問題ですね。

君塚)結果的には、44.1kHzのデジタル入力は録音が出来ない仕様にすることで、発売に漕ぎつけたんだけど、CDをダビング出来ないものだとのイメージが強すぎて、なかなか売れなかったんだよね。

末永)今でもDATのフォーマットのサンプリング周波数は48kHzだけだと思っている人も多いですからね。

君塚)それでSCMS(Serial Copy Management System)という著作権保護技術を作って、CDから一世代だけデジタルコピーが出来て、二世代目(いわゆる孫)にはコピーできないという仕組みを作ったんです。

末永)そういう規格化もやられてたんですね。

君塚)この仕組みがあったから、その後のMDの導入などもスムーズに行ったんですね。

末永)確かに、このSCMSがこの後に出てくる著作権保護技術のベースとなりましたね。

君塚)あと、著作権保護技術としては、DTCP(Digital Transmission Content Protection)なんてものの規格もやりました。

末永)えー、DTCPもやられていたんですか。知らなかったなぁ。1998年頃にスカパーチューナーとデジタル接続できるレコーダーを作ろうということで、私はIEEE1394に関わっていたんです。ずいぶん昔から私は君塚さんにお世話になっていたのですね。それは失礼しました!上司からいきなり、ちょっとDES(Data Encryption Standard 暗号規格の一種)について勉強してくれるか?と話しかけられましてね。DESってなんデス?なんてダジャレを言っていたのを思い出しました(笑)。その頃、モデリングの確認のためにプログラムを作ろうとしたら、そんなもの作ってもらっては困るよ!何言ってるの?!と著作権室の人に怒られましてね(笑)

君塚)あ、そうでしたか。DTCPは、当初はIEEE1394で使われましたけど、その後はDLNAにも使われて、メジャーなものになりましたね。

末永)そうでしたね。じゃあ、DATの後は、著作権保護の仕事をメインでやっておられたのですか?

君塚)いや、CD-Rをね。これまたCDのコピーができてしまうと問題でね(笑)

末永)なかなかの苦労が多いですね!(笑)。CD-Rは、スタート・ラボ(ソニーと太陽誘電との合弁会社)でやっていたんじゃなかったでしたっけ?

君塚)そう、そのスタート・ラボの社長を2006年から5年ほどやらせてもらって、2010年にソニーを定年退職しました。

末永)そうだったんですね。 その後、東京藝大で教鞭を取られたり、国立科学博物館で技術の系統化の調査を担当されたりしたのですね。

君塚)いろいろやってましたね。

理事になった頃

末永)そろそろ、オーディオ協会の理事のお話に移りたいのですが、2008年から理事をされて、16年お勤めになったのですが、2008年というのは、校條さんが会長になる時期なんですけど、理事になった際のお話など聞かせてください。

君塚)(中島)平太郎さんと鹿井さんと二人が私を訪ねて来てね。オーディオ協会を手伝ってくれと言われたんですよ。

末永)これは、ソニーの人間にしか分からないかもしれませんが、かなりの迫力で迫られたもんですね(笑)

君塚)そうなんだよね。なんの話かと思ったら、こんな二人から頼まれちゃ断れなくてね。それで、これまで技術指向の会長が続いていたのだけれども、校條さんはマーケティング指向の方だから、技術の分かる人間が必要だという話でね、それでお受けすることにしたんだね。

末永)校條さんと言えば、ハイレゾロゴの印象が強くて、オーディオ協会を立て直しただけでなく、オーディオ業界にも大きな影響を与えたと思いますが、実は着うたの導入などでもオーディオ協会はかなり貢献したと聞いています。

君塚)着うたのことは、当時、事務局長だった柚賀さんが頑張っておられたんだけど、Bluetooth SIGやモバイル・コンテンツ・フォーラムなどと協力して、普及に向けていろんな活動をされて、その経験がハイレゾロゴの活動につながったと思いますよ。

JASジャーナル編集委員長として

末永)ちなみに、君塚さんが理事になった翌年に、JASジャーナル編集委員長に就任されて、2009年7月号から2018年7月号まで、9年に渡り隔月発行を続けられました。


JASジャーナル 2009年7月号の表紙

君塚)長々とやっていたもんだね。

末永)いえいえ、大変なご苦労があったかと思いますが、その頃のメンバーを見ますと、何故か君塚さん以外は変更がなく、君塚さんが新人で入っていきなり編集長って、大変じゃなかったですか?

君塚)編集委員の皆はよく知っている人たちばかりだったし、前任の藤本さんもよく手伝っていただいたので、何も問題なかったですよ。

末永)そうでしたか、ここは何か苦労話がありそうかな?と思ったんですが…。

君塚)大丈夫ですよ(笑)

末永)残念です!(笑)

君塚)残念でした(笑)

末永)でも、皆さん、言いたいことをお持ちの方々かと思いますので、そこをまとめるのは大変だったんじゃないでしょうか。

君塚)もちろん、皆さんがいろんな意見を持つことは大事なことだし、言い合える環境というのは重要ですが、ベクトルとしては同じ方向を向いていたので、多少の意見の食い違いがあっても、和気あいあいと仲良くやっていましたね。

末永)まあ、そうじゃないと9年間も務められないですよね。ちょうど君塚さんが委員長をされている頃に、PDF化された記事をホームページに掲載するというスタイルになっていますね。

君塚)この頃も、オーディオ協会のホームページのリニューアルが検討されていた時期で、その一つとして、JASジャーナルをPDF化してアップしていくことも実施されました。

末永)その頃、なにか工夫されたこととか、思い出されることありますか?

君塚)電子化されるメリットを活かそうということで、森芳久さんなんかは、360度カメラを持って行って取材をされたり、音声データをリンクしたり、いろんな試みがされていましたね。

末永)確かにそういう情報が上がっていますね。

君塚)末永さんも、JASジャーナルのHTML化を推進したんだから、もっとそのメリットを活かして、いろんな工夫をされたらいいと思います。

末永)ありがとうございます。森芳久さんは、ソニーの大先輩でもありますし、私がオーディオ協会の活動を始めた頃に大変気に掛けていただいて、オーディオ愛に溢れる方でしたから、ついついJASジャーナルの中などでお名前を見ますと目が行くわけですが、JASジャーナルへの投稿も積極的にされていて、こういう方々に支えられていたのは大変ラッキーだったかと。

君塚)そうですね、口だけ達者で手を動かさない人が多い中、森さんのように思ったらどんどん行動に移す人は、最近は少ないかもしれませんね。

末永)今、JASジャーナルを発行する立場になって感じるのは、記事を集めてくるのがとても大変で、たまに森さん(2018年没)のことを思い出すと、君が頑張らなくてどうするんだ…という声が耳に聞こえてくるようなんですよ。

君塚)当時もやはり記事を集めてくるのは大変でしたよ。

末永)ましていわんや、今と違って文字数の制約もあったでしょうから、大変でしたでしょ。

君塚)その辺は、そんなに苦労しなかったように思います。

末永)じゃあ、書き手のスキルが高かったんですね。

君塚)私が理事になった頃、本当にオーディオ業界は元気がなくて、これからどうなるんだろうか?という雰囲気になっていましたので、将来を見据えた記事を集めてこようと、コーデックの紹介だとか、ヘッドホンのことも書いてもらったこともありますし、いろいろ見渡せば、興味深い情報はいっぱいありました。

末永)さすがですね。いつも冷静な君塚さんらしいエピソードです。そうやってしっかりとリーダーシップを発揮されてこられたんですね。

君塚)実は森さんはね、JASジャーナル編集委員会は、協会の執行部とは独立したものであるべきとのお考えがあってですね。

末永)おー、昔の学生運動の時代のようですね。

君塚)協会の広報活動という面とぶつかることがあって…。

末永)そうなりますよね!

君塚)委員長としては、そんな板挟みにあったことがありましたね。

末永)森さんがここに下りてきて、おい君たち、それは違うぞぉ~とか言われないですかね?(笑)

君塚)まあ、森さん流のお芝居だったかもしれませんが。

末永)きっとそうですよ、いつも真剣な方である一方で、そういうイタズラを楽しむ方でもあったので(笑)

君塚)(微笑む)

末永)君塚さんの後に委員長に就任された松岡さんも、委員長の仕事を大変プライド高く考えておられて、今も熱心に取り組まれています。そういう人のまわりに集まってくる皆さんは、やっぱり真面目でいい方ばかりなので、とてもいいチームで今の編集委員会をやれていると思っています。

君塚)今のJASジャーナルを見ていて、それは感じますね。

末永)ありがとうございます。今後、JASジャーナルとして、どうしたらいいと思うかなどお聞かせいただけませんか?

君塚)先ほども言ったように、時代に合わせて、またメリットを活かした工夫を考えていかれたらいいと思います。今の皆さんもすごく頑張っておられるのは分かりますから、私のアドバイスなぞ、ありません。どんどんやってください!

最近の理事会など

末永)最後になりますが、小川会長や私がオーディオ協会をリードするようになって、いかがでしたか?

君塚)とてもいい感じに進んでいると思います。

末永)いつも鋭いつっこみをされる一方で、お疲れ様!とニコニコして帰られるので、今日は大丈夫だったのかなぁ?と理事会の度に思ったりしていました。

君塚)いやいや、しっかり考えていらっしゃるのが良く分かっているし。

末永)そう言っていただけるとうれしいです。

君塚)もっともっと発展させられるのりしろがあると思いますから、これからも頑張ってください。コンテンツサイドとの連携なんかも、もっとあるといいですね。

末永)会長からも、いつも文化の香りのする協会に!というメッセージを受けておりまして、謂わば、そういうコンテンツの方面との連携が重要なんだろうなと思っています。

君塚)あと、オーディオ界隈は、概してITリテラシーが低いので、IT業界の人達との交流もしながら、いろいろ学ぶことも大事かもしれません。CD-Rをやっていた頃、コンピューターペリフェラルの製品をIT企業に売り込んでいましたが、全然AVの世界の人間と考えが違うので驚かされましたが、未来を見据えると欠かせないことかと思います。

末永)私が初めて理事会に参加させてもらって、専務理事になる所信表明みたいなことをやらせてもらった時に、「オーディオ協会を未来を語り合う場にする」とスクリーンに映したら、みんな静かになったんですが、君塚さんが<未来を語り合う>っていいね!とニコニコしながら言ってくださって、理事の皆さんがおのおの頷かれて、頓珍漢なことを言う奴だ、ってならなくて良かったと感謝しました。

君塚)はい、覚えていますよ。ちゃんと未来に向かってやられていて、いいと思います。

末永)ありがとうございます。今回、理事をご退任ということで寂しくはなりますが、君塚さんとは、JASジャーナルに「音のいいバーやカフェを巡るシリーズ」をやろうとお約束していますので、体調が戻りましたら、ぜひ実現させましょう!

君塚)はい、年末あたりには。

末永)今日は長い時間になりましたが、ありがとうございました。そして本当に、長らくお世話になり、ありがとうございました。お疲れさまでした。

君塚)こちらこそ、ありがとうございました。では失礼します。

末永)失礼します。

最後に

いつも、幅広い角度からものごとを見ておられ、しっかりとした発言を受ける度に、聡明な方だなぁと思っておりましたが、従事された仕事の幅も広く、なるほどそれは視野が広くなるはずだなぁと改めて思わされました。とても器用で、人付き合いもお上手だったんだろうなぁと、様々なエピソードをお聞きしながら思いました。私もこのお人柄を見習って、オーディオ界をしっかりと盛り上げていきたいと思いました。

長らくの理事のお勤め、お疲れさまでした!
数々のご貢献に感謝いたします。

個人会員プロフィール

君塚雅憲(きみづか まさのり)
1950年、神戸市生まれ
1973年、ソニー株式会社入社
オーディオ事業部にてカセットデッキの設計やDATの開発プロジェクトに携わった後、1993年にはデータストレージ事業本部でCD-ROM/CD-Rドライブの開発・設計を手掛ける。
2006年、スタート・ラボ代表取締役社長に就任
2010年、ソニー株式会社定年退職
その後、東京藝術大学の講師、国立科学博物館の主任調査員などを歴任。
2008年から2024年まで日本オーディオ協会の理事を務める。

筆者プロフィール

末永信一(すえなが しんいち)
1960年、福岡市生まれ
2019年、ソニー株式会社退社
2020年6月より、日本オーディオ協会専務理事に就任