2024summer

個人会員に聞く!
第5回 相澤宏紀氏

インタビュアー 末永信一(専務理事)

日本オーディオ協会は、6/3(月)、品川駅近くの貸会議室・AP品川アネックスにて2024年通常総会を開催し、2023年度の事業報告や、2024年度の事業計画が原案通り承認がされました。また、今回は役員改変期でありましたので、新役員が承認され、こちらにその新体制を発表させていただいております。

さて、個人会員に聞く!シリーズ第5弾は、永年に渡り日本オーディオ協会の役員を歴任され、この度、監事を退任されました相澤宏紀氏にインタビューさせていただきました。相澤さんとは監事と専務理事という関係において、また同じ業界におられました大先輩でもありますので、まるで親父のような存在でありました。共通の話題や共通の知人も多く、飲みに連れて行ってもらっては、よく笑ったなぁ~!と元気にさせてもらいました。

今回は、ご退任を記念して、相澤さんのいきつけの神楽坂の風情のある料亭で、取材させていただくこととなりました。

OTOTEN2024について

相澤)まずは、OTOTENお疲れ!

末永)いやいや、今日は相澤さんのご退任のお祝いですから、OTOTENの話題はいいんですよ。

相澤)そんなことは酒が進んでからゆっくり話せばいいじゃない。いや~、すごかったね~~、若い人がいっぱいでさぁ。ちょっと用があったから2時間くらいしか居られなかったけど、どこの部屋も満杯でさぁ。あんなに活気のある会場を見たのは、久しぶりだよ。

末永)ありがとうございます。来場者数が昨年の140%の6000人超えですし、39歳以下の比率が34%と、3人に1人が若者って、自分たちも驚いています。

相澤)いや~、おめでとう。さすがだ!

末永)どうもどうも。う~ん、なにがさすがなのか、分かりませんが(笑)

相澤)いや、末永くんが専務理事になってから、どんどん来場者が若返ってるし、毎年毎年ちゃんと作戦を練って、着実に実行しているじゃないか。それは素晴らしいことだよ。

末永)いつも、ちゃんと見て下さっていて、ありがたいです。

相澤)そりゃ、理事会で発表しているのをしっかり見ているんだから、理解しているよ。

末永)いつも怖い顔しておられるんで、話がつまらないのかな??と思っていました。

相澤)怖い顔だなんて言うのは、お前さんだけだよ~(笑)

末永)あ、すみません!(苦笑)

相澤)だけど、若い人が来るのはいいことだが、みんなどうなんだ??

末永)どうなんだと申されますのは?

相澤)つまり、いい音を聴きたいのか、何が楽しみなのか?

末永)正直な話、みんな、いい音を体験したことなんて、ほぼ無いんですよ。

相澤)そうだろうなぁ。

末永)だから、OTOTENに来て、いい音をたくさん浴びることで、オーディオに慣れ親しんでもらおう、そして第一歩を踏み出してもらうというのが目的で、それはなんとなく達成できているような気がします。

相澤)昔のように単品コンポなんてあんまり売ってないんだから、若い人たちはどうやって楽しむんだろうか?やっぱりヘッドホンかなぁ?

末永)ヘッドホンもいいんですけど、一度スピーカーの音を体験すると、小さくてもBluetoothスピーカーあたりでも欲しくなりますよ。そのうちに、これじゃ物足らないとなったら、少しずついいものを買って、どんどん成長してくれますから、そういうのを見守っていきましょうよ。

相澤)これだけ若い人たちが来ているというのに、メーカーは相変わらずの音楽を再生していて、あれはどうなんだろうか?

末永)若い人が来ます来ます!と私たちが言っても、今までは、所詮ほんのちょっとでしょ!とメーカーの皆さんに信じてもらってなかったのだと思います。だけど、これくらい若い人が来るようになったら、営業スタイルも変えないといけないと、皆さん考えるようになるでしょうし、若い人向けの音楽を再生するようになったり、展示するものも変わってきたりすると思いますよ。

相澤)そうだなぁ。年々、ちょっとずつ変わってきているものなぁ。

末永)先導しておきながら、実は、話に付いていくのに精一杯です(笑)

相澤)今年のキービジュアルは爽やかで良かったね。イベントの楽しみ方が見えるようで、いいな!と思った。

末永)ありがとうございます。イヤホンを愛好している、いわゆるアキバ文化に馴染んでいるような若者たちに聞いてみると、OTOTENは大人のオーディオ展示会というイメージであって、敷居が高いという反応がありましてね。それで、我々は君たちを歓迎する!というメッセージを去年も今年もキービジュアルには込めているんです。

相澤)俺は大したアレルギーは無かったけれど、なかなか大人たちには分かってもらえなかったんじゃない?

末永)その時は「私たちが子供の頃、ビートルズは不良の音楽だと親の世代は言ってたじゃないですか。世代によって分からない価値観というのはあるんですよ」と説得してまわりました。

相澤)うまいこと言ったもんだなぁ(笑)

末永)いやいや、これは本音ですよ!私は娘が2人いますが、たとえ自分に分からなくても、尊重してあげなきゃいけないものはあるんじゃないかと思っています。

相澤)そうだね。OTOTENもしっかり改革しているし、今後も頑張って!

末永)分かりました。相澤さんのお言葉、しかと受け止めました。

相澤)おい、もっと飲めよ。ちっとも酔えないじゃないか。

末永)あ、はいはい!(苦笑)

オーディオ協会との関わり

末永)相澤さんのオーディオ協会との接点って、いつ頃からですか?

相澤)最初はやっぱり、オーディオフェアかな。

末永)相澤さんは、電気系のエンジニアだったんですよね?

相澤)入社した頃は、セパレートステレオの設計だった。オーディオ回路なんて言い方ではなくて、低周波電力増幅回路なんて言い方をしてたよ。学生時代に卒論用の実験で使ったソニーの2SD46というコレクタ損失50Wのトランジスタが1個で3000円もしたんだ。その頃の大卒の初任給が27000円って時代だったけどね。

末永)え、型番が2桁…。何年に入社されたんですか?

相澤)昭和42年。

末永)はあ。まあ2SDというのを口にしたのも、30年ぶりですよ。

相澤)昔のことは何故かよく覚えているもんだね(笑)


トランジスタ 2SD46

末永)ところで、協会の資料を見てきたんですが、平成9年以降の役員の履歴しか追えなくて、それよりも前からやっておられたようなんですが、いつから関わられていたんですか?

相澤)平成5年(1993年)だったね。

末永)そこからずっとということは、30年ですか!!

相澤)途中何年かはやってなかったけどね。

末永)たぶん、2006年と2007年の2年ですね。表記方法が違うので。

相澤)そんなものかな。その時期、RWPPI(RW Products Promotion Initiative:DVD-RW関連商品の普及促進活動)の代表をすることになったから抜けたんだ。

末永)RWPPIの代表だったんですか。

相澤)RWPPIを知ってる?

末永)いちおうDVDもやっておりましたもので。

相澤)そうか、しかしDVDは大変だったなぁ、パイオニアが-(マイナス 注:本当はハイフン)を提案し、パナソニックがRAM、ソニーは+(プラス)だろ。


技術動向をプレゼンされる相澤氏

末永)私はBlu-rayの担当だったので、このフォーマットのゴタゴタは本来関係ないんですが、商品としては色々なメディアの再生互換を取らないといけないので、なんて面倒臭いことやってくれてるんだと困惑しておりました。

相澤)パイオニアが+のフォーマットをサポートした時に、+と-を足したらゼロになるとか陰口を叩く人もいたから、+と-を掛けたら-になると言ってやったんだ。
末永)そりゃまた名言ですね。迷言かもしれませんが(笑)

相澤)いろんなところで使ってやったよ、ハハハハ!

末永)私らは、21世紀はBlu-rayの時代にするぞ!ってんで、2001年のCESに試作機を仕立ててデモをしに行ったんですよ。それで、プレス発表があるからとプレス会場に行ったら、あれ?ブルーなんてことは一言も言ってなくて、ソニーはパイオニアと協力してDVDレコーダーをやっていきますとか言ってるし、え?聞いてないよ!って感じでした。

相澤)エェ?そのプレス発表には、俺も居たよ!

末永)ソニーって、大会社でもあり、また情報がリークしないようにわずかな人たちしかそのことを知らなかったもので、あれ~、ブルーの時代にするんじゃなかったの?と顔が真っ青になりました。

相澤)2001年のCESね。なんだ、いろいろと縁があるもんだねぇ!あの発表はほんと極秘に進められていたんだよね。

末永)ところで、少し時代は遡りますが、1990年代、日本オーディオ協会では、どんな話がされていたんですか?

相澤)CDが出て、10年以上になるので、そろそろ次のステージに進まないと、ということで、そういう話。スーパーCDなんて構想があってね。

末永)なるほど、そういう時代なんですね。後にSACDとDVD-Audioが誕生してくるわけですね。

相澤)その頃JASコンファレンスの実行委員長なんてこともやったんだよなぁ、懐かしいなぁ。

末永)そんな大役も果たされたんですね。

相澤)みんな真剣だったよ。ソニーの方々にも、お世話になりましたね。

末永)そうでしたか、そういう技術発表会は、音響学会やAESでは今も積極的に行われていますが、オーディオ協会にはまったくそういう場がなくなって、ちょっと寂しいですね。


第4代会長 鹿井信雄氏(左)と

末永)それで鹿井さんが会長になる2002年から、相澤さんが副会長になられていますね。鹿井さんは、どういう方でしたか?

相澤)ビジネスセンスがいい方でしたね。少々強引だったけどさぁ(笑)。でも、ニコニコしながら人の話を良く聞いてくれましたよ。

末永)そうなんですね。私がレーザーディスクの設計者だった頃、所属していた組織があまりに赤字が続くもので、副社長だった鹿井さんの直下に入るという異例の組織変更がありましてね。すぐに組織が潰されるのかと思っていたんですが、鹿井さんはニコニコして景気のいいことばかりお話しされて。そのお顔が印象的でした。

相澤)ああ、なるほど、そうでしょうね。

末永)私はDVDの、当時MMCDとか言ってましたが、開発の立ち上げチームに入ることになったのですが、そのまま残っていた人たちはビデオCDの商品化に一本化されたんじゃなかったかと。

相澤)あったねぇ、ビデオCD。

末永)ビデオCDはまだビジネスに寄与したフォーマットだったかと思いますが、CDの外周部に、アナログの映像を入れたフォーマットなんてものもありましたよね。何て言いましたっけ?

相澤)CDVな!

末永)あ、そうそう!CDVですね。私も関わりましたMUSE-LDなんかもそうなんですが、開発にお金を掛けた技術も、短命に終わることが多くて、これじゃ儲からなかっただろうなぁと思います。おかげで、少人数でなんでもやらされたので、たくさん経験を積むことができたのが財産ですね。

相澤)Y君なんかも、そのレーザーディスク時代の友達だよね?

末永)いや、5歳以上は先輩だと思いますよ。気が合う奴だと思われていたみたいで、よく可愛がってもらいました。

相澤)そうか、そんなにお前さんは若かったのか~(笑)

校條会長誕生と同時に監事に就任

末永)校條さんがオーディオ協会の会長になられる2008年に、同時に相澤さんが監事に就任されたわけですが、先日まで16年、監事を勤めあげられた感想などお聞きしたいと思います。まずは校條さんのことをお聞きしますが、昔からよく知っておられたのですか?

相澤)校ちゃんは、昔、労働組合の委員長だったんだよ。

末永)はい、伺っております。

相澤)彼が、初めてストを決行したということで、男を上げたというのかな、会社からも評価されたわけだよ。それで、組合を上がったら、経営戦略をやることになったんだね。

末永)ほお。

相澤)その頃、俺は研究所の所長をやっていて、パイオニアの技術責任者として今度どういう戦略でいくべきか考える立場だったから、校ちゃんとよく話をするようになってね。

末永)なるほど、そういうつながりでしたか。その頃から二人三脚の足に紐が絡みついたわけですね。

相澤)そう、逃げたくても逃げられなくなったってな(笑)。何を言わせるんだ!


第5代会長 校條亮治氏(左)と

末永)監事というお仕事も責任は重いし、難しいことと思いますが、その監事という立場で校條さんを支えるというのはどうでした?

相澤)それまでにも、いろんな団体に関わっていたし、監事も経験していたから、仕事自体はそんなに難しいものじゃない。むしろ、校ちゃんが会長になった時期も、協会を改革しなきゃ今後続かないという状態だったから、彼は苦労していたし、だからよく話を聞いたよ。古い話で忘れたけど…。

末永)そうだったんですね。ついつい校條さんと言えば、ハイレゾロゴのイメージが先立ちますが、協会創立70周年記念号の中で校條さん自ら振り返っておられますが、モバイル分野のコンテンツ配信などにも関わられたり、いろんなことに頑張られた跡がありまして、まさに経営戦略を考えて実行されたのですね。

相澤)まあ、いい人材も周囲を固めていたよね。

末永)なるほど。その辺は、校條さんの一流の気遣いですね。

相澤)ハイレゾで業界が復活してくるまで、ほんと大変だったよ。しょっちゅう飲みに行って、この先、どうするべきかを話し合っていた。

末永)私も相澤さんに何度も飲みに連れて行ってもらいましたが、酒の席で元気づけるのが、相澤さんの監事スタイルですね??

相澤)飲んだら本音が言えて、元気も出てくるだろう!ところで、おい、なんで今日は飲まないんだよ、酔えないだろ。

末永)あ、すみません!(笑)

小川会長の時代へ

末永)それで、16年監事を勤められて、協会の変化も色々と見て来られたことと思いますが、大変なことも多かったんじゃないですか?

相澤)いや~、末永くんが専務理事になるまで、平和だったよ。

末永)え~~、それじゃ私が悪いみたいじゃないですか~(苦笑)

相澤)そうだね(笑)。まあ、それまで、みんな大人しくて静かだったんだ。

末永)そうだったのかも。ちょうどコロナ禍も来ちゃったし、色々と古臭い慣習を変えようとしたら、おいおい大丈夫か?!という話もあって、相澤さんにしょっちゅうご相談をさせていただきました。その頃、よく目黒のお蕎麦屋さんに連れて行ってもらいましたね。

相澤)おお、あの店にまた行かないといけないね。

末永)多分、相澤さんとよく話をするようになったのは、専務理事になる前の音の日に「このたびお世話になります、末永です」と挨拶してからなんです。

相澤)あ、そうだったかな。

末永)小川会長がパナソニックの方で、専務理事になる末永がソニー出身なんて組み合わせでうまくいくんだろうか?と心配されていて、「会社の違いなんか心配ないけど、あるとしたら、小川さんは相当に頭が切れそうだから、そこに対応できるかが不安です」と答えたんです。

相澤)それは問題ないでしょ。初めて見た時から、末永くんは真面目にやりきる人間に見えたよ。

末永)へぇ、そうでしたか、それはお世辞にも嬉しいです。ありがとうございます。

相澤)いやお世辞じゃなくて、本当に!技術に明るいのがいいんだろうな。

末永)ありがとうございます。やっぱり、オーディオ協会については、井深さんが設立に関わられたというストーリーであったり、私が出入りするようになった頃に、大先輩の森芳久さんに可愛がってもらったことなど、私を鼓舞させてくれる話が色々とあったので、気合いも入りましたね。

相澤)末永くんが来てから、小川さんの素晴らしさがうまく引き出されていると思うし、いいペアなんじゃないかなぁ。ガラっと協会の雰囲気が明るく変わったと思うよ。

末永)今日は一段といい気分にさせていただけますねぇ(笑)

相澤)そりゃこの後も頑張ってもらわないといけないからね(笑)

末永)ありがとうございます。私はともかく、小川会長はどうですか?

相澤)やっぱり素晴らしい女性でいらっしゃるし、若いし、これまでの会長さんたちとは違う切り口をしっかり打ち出されているよね。失礼な言い方かも知れないけれど、なかなか頼もしいと思うよ。2人で明るいオーディオの未来を切り開いていこうとしていることがよく分かるよ。


小川理子会長(右)と

末永)アーティストとしての側面もお持ちだし、高い理想をお持ちですから、その点はまだまだ私がかみ砕けていないのですが、小川会長の理想に早く近づけられるようにしたいと思っています。

相澤)まあ、やっとコロナ禍も明けたし、これからだよね。OTOTENも明るい方向性が見えてきたばかりじゃないの。

末永)意外と時間がないものだなぁと思っていまして。

相澤)以前に言ったかもしれないけど、袈裟を着てなくてもお経は読めるわけで、人間というのは、肩書があるから働くのではなく、そんなものがなくても働けるんだよ。生涯やっていけばいい。

末永)えええ、そんなに長くですか??(笑)

相澤)例えばの話だよ。

末永)じゃあ、相澤さんは引き続き、飲みに付き合ってくださいよ!

相澤)俺はそろそろいいよ(笑)。飲みには付き合うけどね、ハハハ。

末永)よろしくお願いします!(笑)

監事を退任されるにあたって

末永)最後になりますが、このたび、永年勤められました役員を降りられたわけですが、今後のオーディオ協会に対する期待のメッセージをいただけますか?

相澤)ここ10年はハイレゾロゴで協会は持ち直したわけだけど、今後そういった協会の収入の軸になるものが出てくるのか、お金の問題だけでなくてオーディオの価値や文化を高めていくものが出てくるのか、そこが心配でもあり、期待するところですね。その辺は小川会長と2人でしっかりやっていってくださいね。

末永)ありがとうございます。そうですね、まだ未来が見えてきていないですからね。

相澤)クルマは機械から電気に変わって産業構造も変わろうとしている。オーディオだって、そういうのがあっていいと思うんだよね。

末永)なるほど、壮大なお話ですね。

相澤)しっかり考えてよ。とにかく、お願いしますよ。今日は楽しかったね、ありがとう!!で、いいから飲めよ!もう終わりだろ??

末永)はい、いただきます!(後ろを向いて)冷酒一合くださ~い!

最後に

今回は、いつも親父のような距離感で、私のことを気に掛けていただいた元・監事の相澤宏紀さんを採り上げさせていただきました。いつも飲みに行けばこんな会話なので、別にインタビューという大袈裟なものでもなかったのですが、私を相手にしますと、ついつい気を許されて、もっとべらんめえ調にお話しをされていたのですが、ご本人の希望により、マイルドなおしゃべりに書き換えさせていただいております(笑)。

でも、いつも本当に相談ごとを親身になって聞いてくださり、理事会の後で、お疲れ様!と飲みに付き合っていただくなど、相澤さんには感謝しかありません。大変お世話になりました。これまで受けたご恩を忘れずに、引き続き、協会の発展に努めたいと思います。

個人会員プロフィール

相澤宏紀(あいざわ こうき)
1944年、神奈川県生まれ1967年、東京理科大学工学部電気工学科卒。パイオニア株式会社入社
セパレートステレオ設計、4チャンネルステレオ開発等
1974年、音響研究所~技術研究所。スーパーオーディオ、8mmビデオ等
1990年、所沢工場開発部長 システムLSI開発、記録型光ディスクシステム
1999年、DVD-RWビデオディスクレコーダー担当主査
2001年、執行役員 研究開発本部次長 兼 総合研究所長
2003年、執行役員 渉外部部長兼RW標準化センター所長及びRWPPI代表
2009年、パイオニア株式会社退職

1993年から2024年まで数年間を除き、日本オーディオ協会の理事・監事を務める。

筆者プロフィール

末永信一(すえなが しんいち)
1960年、福岡市生まれ
2019年、ソニー株式会社退社
2020年6月より、日本オーディオ協会専務理事に就任