2024summer

生演奏の響きを再現する
弦楽器励振装置の開発

Strings Audio Lab合同会社 代表 大島英男

1. 概要

Strings Audio Lab合同会社(以下、SA Lab)では、生演奏の響きを再現することを目指して、バイオリンの自動演奏を実現する弦楽器励振装置の開発を進めています。著名なバイオリニストが収録したCDなどの音楽コンテンツを、バイオリンに取り付けた弦楽器励振装置に入力することで、あたかもそのバイオリニストがそのバイオリンを演奏しているかのように感じ、目の前に広がる自然な響きを楽しんでいただけることを目標としています。バイオリンの生演奏では運弓で発生した弦振動がボディ各部を励振し、空間に放射された演奏音はその方向や強度が周波数に依存して変化します。この放射指向性の強さがバイオリンの響きを決めています。新規開発のバイオリン励振装置は熟練奏者の生演奏に類似した放射指向性の強さを発生させることができましたので、ご紹介したいと思います。

2. バイオリン演奏音の特徴

2-1. バイオリン演奏音の基本特性

バイオリン演奏では、弓で弦を弾くことで弦振動を発生させます。この弦振動の動きは複雑で、基音振動に付随して高次倍音振動が発生します。[図2-1]はボディが無いヤマハサイレントバイオリン[写真2-2]のD開放弦演奏時の弦振動スペクトルです。基音と高次倍音がきれいに並んでいます。


[図2-1] ヤマハサイレントバイオリンのD開放弦演奏時の弦振動スペクトル


[図2-2] バイオリンのD開放弦演奏音スペクトル

一方で、普通のバイオリン[写真2-1]では、この弦振動は駒を介してボディに伝わります。ボディは表板、裏板、両板を結合する横板で構成されています。表板にはS字孔が彫られ内側にはバスバーがあり、表板、裏板の間に魂柱が挟んである複雑な構造になっています。バイオリンD開放絃の演奏音スペクトルを[図2-2]に示します。基音と高次倍音については、[図2-1]と同様なスペクトルを示していますが、包絡線の形状は異なっており、これはボディの励振状態を反映しています。

2-2. 演奏者の熟練度で決まるバイオリン演奏音の特性


[写真2-3] 無響室の3次元収録装置
(NICT研究紹介資料)[参考文献1]

バイオリン演奏音の空間放射特性に関する研究の第一人者である愛知淑徳大学の牧勝弘教授は、バイオリン演奏音の空間放射特性と演奏者の熟練度に着目し、[写真2-3]の金属アーム製の半径80cmの球面上に42個のマイクロホンをアレイ状に配置した3次元収録装置を製作し、その中心でバイオリン演奏者が演奏した際の空間放射特性と奏者の熟練度の関係を、論文「楽器演奏音の空間放射特性の計測:奏者の熟練度と名器の特徴」(第60回自動制御連合講演会 2017年11月10日~12日・東京)[参考文献2]で明らかにしています。


[図2-3] 異なる熟練度の奏者による演奏音の
空間放射パターン(右コラム)と
放射指向性の強さ(左コラム)
愛知淑徳大学 牧勝弘教授の論文「楽器演奏音の空間放射特性の計測:奏者の熟練度と名器の特徴」Fig.1から引用

[図2-3]の右コラムでは演奏熟練度が異なるAmateur、Professional、およびWorld-class professionalの各演奏者が同一のバイオリンを演奏する条件で計測した空間放射パターンを示しています。空間放射パターンの分布が拡がるほど特定の方位に偏って音が放射される傾向が強い(放射指向性が強い)ことを表しています。また、演奏熟練度が上がるにつれて広い周波数領域で空間放射パターンの拡がりが大きくなっていることが分かります。

[図2-3]の左コラムは、演奏音の放射指向性の強さを周波数の関数として表したものです。この放射指向特性の強さの周波数特性は奏者の熟練度を評価できる重要な指標です。特に(d)World-class professionalのデータでは、ピークがはっきりと表れ、かつ低域から高域に渡るそれぞれのピーク値のバランスが良く、ボディ各部(表板、横板、裏板が)バランス良く励振していることがうかがえます。
バイオリン生演奏の響きを再現することを励振装置開発の目標に掲げているSA Labでは、上記論文を重要かつ具体的な指針として開発を進めています。

3. 弦楽器励振装置について

3-1. 振動特性を引き出す励振装置

スピーカーに代えてバイオリンを鳴らす装置はこれまでも提案されており、弦を加振する方式、駒を加振する方式、ボディを加振する方式があります。SA Labはバイオリン生演奏と同様に弦を加振する方式が最も優れた方式と判断し、弦を加振する方式を用いた励振装置の開発を進めています。


[写真3-1] バイオリン励振装置基本構造

励振装置の基本構造を[写真3-1]に示します[参考文献3]。中央の部分がバイオリンの弦と接触し振動を伝える振動伝達部で、その機能はバイオリン演奏の運弓に相当します。振動伝達部は4弦に同時に接触し振動を伝えます。振動伝達部の両端には振動発生部を取り付けています。振動発生部に使用している小型スピーカーはPUIオーディオ製で、N50ネオジウム磁石、定格入力2W、直径18mmです。コーン紙を振動伝達部に接着し楽音振動を伝えます。

スピーカーカバーを取り付けた励振装置をバイオリンに装着した様子を[写真3-2]に示します。励振装置の装着はG弦とE弦の間隔を指で狭め、振動伝達部左右の斜め溝に挿入することで行います。脱着時も同様の操作で行います。

この[写真3-2]で振動伝達部と4本の弦との関係を説明します。振動伝達部の左右には斜めの溝が切り込まれていますが、左の溝はG弦用、右の溝はE弦用で、左の溝の上面とG弦の下面が接触します。同様に右の溝の上面とE弦の下面が接触します。振動伝達部中央部下面には二つの半円形が上向きに切られています。左の半円形はD弦用、右の半円形はA弦用で、左の半円形下面とD弦の上面が接触します。同様に右の半円形下面とA弦の上面が接触します。

励振装置の再生時には励振装置の位置を[写真3-2]の装着位置から、[写真3-3]の駒の直近まで移動させます。振動伝達部はバイオリン演奏時の運弓に相当する役割ですので、演奏時運弓で弦を振動させる状況を学ぶことで振動伝達部の設計を進めました。

(1)演奏時に弓毛が弦の上面(片面)と接触することに倣って、振動伝達部も弦の片面すなわちG、E弦の下面、D、A弦の上面と接触する構造にしました。

(2)演奏時の運弓の動きは、弦長さ方向と直交しつつ弦を軸とした傾きを伴っており、その傾きは駒上面カーブの接線方向になることに倣って、振動伝達部左右のG弦、E弦用の溝の切り込み角度及び、中央部のD弦A弦用の半円形切り取り面の角度を駒上面カーブの接線方向に設定しました。

(3)演奏時の弓毛と弦との接触圧力は演奏中に微妙に変化します。振動伝達部と各弦の接触圧力は、振動伝達部の弦接触上下位置を変えることで最適な状態に調整できます。駒上面カーブがバイオリンによって僅かに異なる場合もありますので、信号伝達部の中央部にシリコン薄板を挿入することで対応しています。

(4)演奏時、弓毛に松脂を塗って摩擦力を高くし弓毛がしっかり弦を捉えられるようにします。振動伝達部はバイオリンと同様の木材を用いていますが、摩擦係数はあまり高くありません。摩擦係数を高くしてしっかり弦を捉えられるようにする方策を試しました。振動伝達部の弦と接触する部分に、弾性部材を配した方法[参考文献3]で効果を確認できました。

振動伝達部は[写真3-1]のようにシンプルな構造のため、平面図を元にレーザー加工機によって高精度に量産することができます。[写真3-1]の振動伝達部もレーザー加工したものです。

3-2. バイオリン保持装置について

[図2-3]に示されているようにバイオリン演奏音の空間放射パターンは周波数の関数として表せます。熟練演奏者の空間放射パターンは、1kHz以下では概ね前方斜め下方向、1kHz以上では前方斜め上方向に音が放射されますが、1kHz前後で音が前向きに放射されるケースもあります。バイオリン励振装置で演奏時の響きを楽しむにはバイオリン演奏時の高さと傾きを再現することが重要です。[写真3-4]のバイオリン保持装置[参考文献4]は簡単な操作で[写真3-5]のようにバイオリンを保持し、バイオリン演奏時の高さと傾きを再現できます。

4. バイオリン励振装置の特性評価

バイオリン励振装置開発の目標はタイトルにあるように「生演奏の響きを再現する」ことです。響きを再現できているかは、バイオリン励振装置が「バイオリンの持っている振動特性を引き出し、望ましい放射指向性の強さを発生している」ことを評価する必要があります。望ましい評価方法としては牧勝弘教授の論文「楽器演奏音の空間放射特性の計測:奏者の熟練度と名器の特徴」[参考文献2]と同様の計測により、熟練者の放射指向性の強さが励振装置による再生で再現できているかを実証することが挙げられます。

ただし、カット&トライを繰り返す開発段階においては、簡易な測定法が望まれます。提案します測定法は、励振装置を装着したバイオリンを演奏時と同様に人が構え、再生音をバイオリン前方、後方の2方向から録音したデータを用いて、放射指向性の強さを求める方法です。

結果を[図4-1]に示します。[図4-1]では400Hz前後の低域のピーク、1kHz前後の中域の二つのピーク、および3kHz前後のピークが出ています。この結果は放射指向性の強さを表しているもので、[図2-3]の左コラムのデータとはそのまま比較はできませんが、バイオリン励振装置の励振能力が優れていることを窺わせる結果が得られたことは、大きな成果です。


[図4-1] 前後2方向録音で求めた励振装置再生音の放射指向性の強さ

5. まとめ

目標とした「響きの再現」を客観的なデータで示すことができたのは、牧勝弘教授の研究成果のお蔭です。研究論文の引用をご快諾いただくと共に、ご指導いただきましたことに厚く御礼申し上げます。

「響きの再現」の客観的な評価として求めたバイオリン励振装置の再生音の放射指向性の強さのデータが、熟練度の高い奏者の演奏音のデータと類似したことは大きな成果でした。また、励振装置の再生音をご試聴頂いただいた方々からも良い響きと評価されています。

本稿ではバイオリンを中心に励振装置をご紹介してきましたが、今後この成果を広め、さらに弦楽四重奏システムの完成度を高めていきたいと思っています。

参考文献

執筆者プロフィール

大島英男(おおしま ひでお)
1945年生まれ。1967年NHK入局。技術研究所 技術局。退職後、(財)NES、(株)協和エクシオ。その後、弦楽器励振装置の開発を進め、2022年に研究・開発・特許取得を目的にStrings Audio Lab合同会社を設立。日本オーディオ協会個人会員。