2023winter

アナログ・ルネッサンス

オーディオ評論家 潮晴男

今レコードに集まる熱視線

ネットワーク環境の拡充で、ハイレゾもダウンロードからストリーミングまでオーディオのプログラムソースは多彩になった。しかしながら、そうした動きに反してアナログレコードが話題を集めていることも実に興味深い。その動向を端的に表しているのが、国内のレコードの売り上げである。2012年は、わずか1億7,000万円だったものが、2022年はなんと20倍近くの40億円にまで達する勢いを見せているのだ。オーディオファンにとっては喜ばしくも悩ましい時代が再びやってきたと言えるかもしれない。

しかもアナログオーディオの復権はおじさんやお爺さんのノスタルジーだけに支えられているものではないことにも驚く。若年層のファンが確実に増えているのである。どこがいいのか尋ねると、面倒くさいところがいいらしい。

かつてCDが誕生した時、誰もが諸手を挙げて歓迎した。レコードに比べれば扱いが簡単で利便性に富んでいたからだ。さらにCDは平均点の底上げもしたが、同時にクォリティの平準化も行ってしまった。もちろんCDでも手間暇をかけて再生するならまだ見ぬ世界に出会うこともできるが、アナログレコードに比べればその範疇は狭い。料理やお酒と同じで、レコードは手をかけるほどに音溝の奥底に潜む情緒あふれる音楽を拾いあげることが出来るのである。

アナログレコードも視野に入れたレーベルを目指す

2017年9月、私は麻倉怜士とともにウルトラアートレコード(http://ultra-art.jp)を立ち上げた。オーディオ評論家が何の気まぐれと受け取られた向きもあるかもしれないが、レーベルを作った理由は現状の音楽の作られ方に不満があったからだ。アナログからデジタルにメディアが移り変わるにつれ、録音の仕方も随分と変わってきた。アナログ時代にも編集やオーバーダビングという作業はあったが、デジタル時代になって目で見て作業することが可能になり、確度は上がったものの、安易に音楽の形が変わっていくことに、何か違う気がしてならなかったのである。

パソコンと簡易ミキサーがあれば誰でも手軽に音楽が作れるようになった。製作の裾野が広がったことにとやかく言うつもりはないし、キッチンレコーディングと呼ばれる世界からヒット曲が生まれることもあるが、趣味のオーディオの世界と同じく、時間をかけて丁寧に音楽を作りたいという思いが、ウルトラアートレコードを設立した一番の理由である。

最初のタイトルは2018年1月のリリースした情家みえのジャズアルバム「エトレーヌ」である。彼女との出会いがなければ、私もこんな無謀な計画は立てなかったが、まさに縁は異なものであり、情家のボーカルを高品位なサウンドで残したいという思いでレーベルを立ち上げた。しかしながら、私は映画の音響監督や音楽レコーディングのディレクターは数多く経験してきたが、プロデューサーは初めてである。実際に取り掛かってみるとその仕事の範囲の広いこと。バックをサポートするミュージシャンへの出演依頼から、スタジオの手配、録音エンジニアの起用と、様々なジャンルに渡っての交渉事をこなしていく必要があった。零細企業ゆえの大変さを思い知ったが、この時ほど知人友人の輪が心強く感じられたことはない。

良い音で音楽を製作することを標榜した以上、ミュージシャンもスタジオもエンジニアも一流どころを揃えて作り上げたい。しかも麻倉と二人でプロデュースするのだから、それぞれの特徴を持たせようと、A面、B面構成のアルバムにした。CDにAB面はないが、将来的にレコードの発売も考えていたので、こうした作りにしたのである。バッキングのミュージシャンも、それぞれがリーダーアルバムをリリースしている強者揃い。とりわけピアノの山本剛は私の憧れのミュージシャンでもあったので、30年前なら想像できなかった人選である。

収録曲についてはウルトラアートレコードのホームページをご覧いただきたいが、レコーディングは東京の代々木にあるポニーキャニオン代々木スタジオで行った。メインのブースにはスタインウェイのフルコンサート・モデルのピアノをセットし、残響音は自然に発生するものだけで、リバーブは全くつけていない。デジタル収録はPro Toolsを使い、同時に今となっては数少ないSTUDERの24chマルチトラックレコーダーA-800によるアナログのレコーディングも行っている。テープは2インチ幅の10号リールを用いているが、76cm/secで回すので1本で10分程度という贅沢な録音になった。

当初リリースしたCDにはPro Toolsの192kHz32 bitのデジタル音源を使い、アナログレコードにはアナログテープの音源からフルアナログプロセスによる制作を経てラッカー盤を切っている。CDは高音質盤として定評のあるメモリーテックのUHQ仕様を採用した。一方、アナログレコードのマスターとなるラッカー盤は、この道の匠として私が信頼を寄せる日本コロムビアの武沢茂にカッティングしてもらい、プレスは東洋化成で行った。2023年3月にリリース予定のSACDハイブリッド版には、このアナログ音源を使うので、CD盤とは一味違うサウンドをお届けできると思う。

さて、素晴らしいミュージシャンを起用し、アナログ録音もできる響きの豊かなスタジオを使ったわけだが、ここで忘れてはならないのが、レコーディング・エンジニアの存在である。ミュージシャンの気持ちが理解できて、なおかつ音質に対して同じ土俵で会話できる人でなければ意味がない。幸いなことに日本コロムビアの塩澤利安という強力なサポートを得ることが出来たが、私がどうしても塩澤にエンジニアリングをしてほしいと頼んだのは、彼の音作りに対する深い洞察力と積極的な攻めの姿勢に惚れてのことだ。

「エトレーヌ」では音楽の旨味とグルーブ感をしっかりと引き出すために、ワンテイク録音にこだわった。録音当日までミュージシャンにはそのことを伝えていなかったのでブーイングも出たが、大概は3~4テイクで収録が完了したのも塩澤の腕によるところが大きい。これらのテイクの中から、これぞと思うテイクを選んでアルバムに仕上げた。まさに初プロデュース作でこんな素晴らしい作品が出来上がったのは、後から思い起こせば奇跡そのものである。

コンソールブースでSTUDERのテープレコーダーの音をプレイバックした時、私はもちろんだが、ミュージシャンからも驚きの声が上がった。解像力がありながら、ふくよかで厚みのあるサウンドに全員が釘付けになったからだ。

デジタルレコーディングの可能性に挑む

「エトレーヌ」のCDアルバムのリリースが終わり、続いて取り掛かったのが「バルーション」の製作である。この作品はピアノとボーカルに小川理子を起用した。何を隠そうこの人こそ今まさに執筆しているJASジャーナルの発行人、日本オーディオ協会の会長にして、パナソニックの役員というとてつもない肩書の持ち主である。そして小川はストライド奏法というジャズのピアノ演奏で音楽の世界に名を馳せる別な顔も持つ才媛でもあるのだ。

そんな彼女に駄目もとでレコーディングのオファーをした。オーディオ業界では顔を合わせる仲でも作品を作るということになれば話は別だが、幸いなことに快諾をもらって2018年6月にレコーディングが始まった。録音スタジオはポニーキャニオン代々木スタジオ、レコーディング・エンジニアは同じく日本コロムビアの塩澤利安。バッキングのメンバーは今回も名うてのミュージシャンである。

AB面構成というプロデュースの方法も「エトレーヌ」と同じだが、録音メディアはアナログのテープではなく、DAWにPyramixとインターフェースHapiを使った24chのデジタル録音である。テープが間に合わなかったこともあるが、最高峰のデジタル機器で384kHz32bitのPCM(DXD)録音に挑戦することにしたのである。

結果は大成功。見事なまでの切れ味と厚みを兼ね備えたアナログ的なサウンドに感激したし、これならデジタル、アナログという境界を作る必要もないと思った。モニタースピーカーから流れる情緒感あふれるサウンドに小川の顔にも微笑みが浮かんだ。

「バルーション」はCD、LPレコードともにこの音源を用いているがアナログレコードでそのパフォーマンスが一層引き立つ。この音を聴いて1970年代にPCM録音がスタートしたことを思い出した。その先鞭を付けたのがデンオンでありテラークレコードだが、その時代からすれば今のデジタル音源はよりアナログレコードにフィットすると思う。エンジニアの塩澤からもデジタル音源の方がS/N的にも優位性があることを聞かされていた。「エトレーヌ」の時はそうした意見に耳を貸しながらもアナログレコーディングにこだわったわけだが、「バルーション」の時に改めて彼の意見が的を射ているものだと分かった。だからと言ってアナログレコーディングを諦めたわけではないので、この先はまた違う方法で収録するかもしれないが、少なくともデジタルレコーディングの良さは十分に理解できた。

UHQ仕様のCDアルバムをリリースした後、LPの製作に取り掛かった。デジタルマスターからラッカー盤を切る重要な作業は、「エトレーヌ」の時と同じく日本コロムビアの武沢茂である。

新たなる挑戦 LPレコードで78回転

こうして完成したLPレコード「バルーション」の高品位な音質に触発されたことで、新たなる挑戦をしてみたくなった。それが「バルーション78」である。通常33 1/3で回転するLPレコードをSP盤と同じ78回転で回して線速度を高め、どこまで高音質化が図れるのか、まさしく未知の領域へのトライアルだった。30cmのLPレコードに、A面B面それぞれ1曲ずつカッティングするという大胆な作りになってしまったが、その挑戦が的外れでないことをラッカー盤で確認した。資源の無駄遣いと言われればそれまでだが、78回転のLPレコードは贅沢を無駄にしない想像を遥かに超えた音を奏でてくれたのである。

デジタルマスターから78回転のラッカー盤を切ってくれたのは、ピッコロスタジオワークスの松下真也だが、彼にとってもこれまでにない仕事とあって、カッターレースの調整を初め、溝の位置など、何度も打ち合わせを行い、さらにラッカー盤も3度切ってもらって、ようやく満足のゆくものが出来上がった。それにしても彼の熱心な取り組みには感服させられた。日本コロムビアでカッティングしてもらった通常盤の「バルーション」とピッコロスタジオワークスでカッティングしてもらった「バルーション78」では回転数によるもの以外にカッティング・マシンによる音質の違いがある。日本コロムビアではドイツ、ノイマンのSX-74を、ピッコロスタジオワークスでは米国のウエストレックスのカッターヘッドを搭載したスカーリーを使っているからだ。

「バルーション」ではこうした違いも含め、オーディオ的な観点からも通常盤と78回転盤の音を楽しんでいただきたいと思っている。もっとも78回転盤のプレスに当たっては東洋化成にいやというほどの無理難題をお願いした。まずは偏芯ゼロ。通常のLPは±0.2mmの偏差が許容されているが、78回転で回ると偏芯による音質への影響は無視できない。また、そりについても同様に厳重な管理が必要だったが、3回のテストプレスを経てようやく納得のゆく仕上がりになった。

こうして「バルーション78」はまさに奇跡その2で出来上がったレコードなのである。通常盤に比べて78回転盤ではさらに鮮度感が高く彫の深いサウンドが聴けるように、DAWを使った録音からも大きな可能性を引き出せることが分かった。

今後について

コロナ禍にあってウルトラアートレコードは3年の間、活動の停滞を余儀なくされてしまったが、奇跡その3に向かってただいま邁進中である。アナログに限らずデジタルであっても私はフィジカルなメディアにこそ製造者の魂や責任が宿ると思っている。ハイレゾ配信を含めオーディオの楽しみ方は色々あっていいと思うが、アナログレコードはその楽しみ方をより深く、広くしてくれることだろう。

過ぎた時間はすでに戻らず、未来に向かって繋がっていく。過去の選択を振り返って違う未来を想い描くより、選んだ道の可能性を広げていきたいと思っている。そのためにも、まだ見ぬアナログの奥深い世界を探求することが肝要だ。ウルトラアートレコードの次回作にご期待いただきたい。

執筆者プロフィール

潮晴男(うしお はるお)
オーディオ・ビジュアル専門誌をはじめ情報誌、音楽誌など幅広い執筆活動をおこなう一方、アニメーション映画の音響監督として劇場公開作品やOVAの演出、サウンドプロデューサーとして音楽ソフトの制作に携わる。ハリウッドの映画関係者との親交も深く制作現場の情報にも詳しい。2017年、高音質ジャズレーベル、ウルトラアートレコードを設立し、パッケージソフトのリリースとハイレゾ配信を開始する。米子ふるさと観光大使として鳥取県米子市の魅力を発信している。2020年8月よりBSSラジオの番組「ジャズパーク」のパーソナリティを務めている。