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- 編集後記
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日本オーディオ協会 創立70周年記念号2022autumn
日本オーディオ協会 創立70周年記念鼎談
「未来のオーディオに求められるものとは?」
中島さち子(音楽家、株式会社steAm 代表)
小林久(株式会社角川アスキー総合研究所 取締役)
小川理子(日本オーディオ協会 会長)
ハイレゾの普及、アナログの復権、そして立体音響の飛躍。この10年で、オーディオは大きな進化と多様化を遂げた。VRやメタバースといった先進技術が本格的に取り入れられ、誰も体験したことのない「未来のオーディオ」が楽しめる日もそう遠くないだろう。ここではジャズピアニストにして数学教育者、株式会社steAmの代表でもある中島さち子氏、株式会社角川アスキー総合研究所 取締役の小林久氏、日本オーディオ協会の会長である小川理子による、未来のオーディオにまつわる記念鼎談をお届けする。抽象と具象を行き来しながら、「これまでのオーディオ」と「これからのオーディオ」を、それぞれの視点から語っていただいた。
オーディオに感性を。音楽は聴覚だけでなく、五感を開いて体験するもの
小川理子(以下、小川):
一般社団法人日本オーディオ協会(以下、オーディオ協会)は「豊かなオーディオ文化を広め、楽しさと人間性にあふれた社会を創造する」というビジョンを掲げ、1952年に創立されました。21世紀を迎え、創立から70年が経過した現在、音楽の聴き方は多様化し、アナログレコードからストリーミングまで数多くの選択肢が用意されています。これからの10年、20年、30年を考えるとき、私たちに何ができるのか。次世代の子どもたちにどんな希望を残せるのか。2018年にオーディオ協会の会長に就任して以来、私は常にそのことを考えてきました。今日は中島さん、小林さんとのトークセッションを通じて、「未来のオーディオ」についてのヒントが見つかればと思っています。
早速ですが、まず中島さんにおうかがいします。中島さんはジャズピアニストであり、数学教育者としても数々の著書を刊行されるなど、多彩な活動をされています。私自身も幼少期からピアノを弾き、長く理系分野でキャリアを重ねてきましたので、中島さんの活動には共感するところが多いのですが、2017年にはSTEAM教育の普及や指導を目的として、株式会社steAmを設立されています。会社の名前にされているぐらいですから、やはり中島さんにとってSTEAM教育は人生の大きな目標のひとつなのでしょうか。
中島さち子さん(以下、中島):
そうですね。少し説明させていただきますと、STEAM教育はScience(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Arts(芸術)、Mathematics(数学)を統合的に考える教育手法です。アメリカでは2000年代前半にSTEMという言葉が用いられるようになり、その後STEMに“A”を加えたSTEAMという言葉が2010年前後から少しずつ広まっていきました。この“A”は、いわゆるアートだけを指すのではなく、リベラルアーツ全般を指します。リベラルアーツは近年ビジネスシーンでも話題に上ることが多くなっていますが、そのルーツは古代ギリシャにまで遡り、言語系の文法、修辞法、論理学の3つと、数学系の代数学、幾何学、天文学、音楽学の4つを合わせた「自由七科」を基本に発展したものです。「音楽が数学系に含まれるの?」と驚かれる方もいらっしゃると思います。しかし、音楽の究極的な目的が「宇宙の調和を聴くこと」だとするなら、そこにアプローチする手段として代数学や幾何学、天文学が不可欠であり、互いに補完し合うところがたくさんあるんです。
小川:よくわかります。実は私、STEM教育がSTEAM教育にシフトしていることを知って、「よくぞSTEMに“A”を入れてくれました!」と歓喜したんです。教育とは少し離れますが、私は1986年に松下電器産業に入社して、音響研究部門でたくさんのオーディオ機器の開発や評価に携わりました。それらのオーディオ機器に求められるのは、何よりもまず安定した機能や性能。当時から私はオーディオ機器、もっと言えばオーディオという産業分野そのものが「感性の価値」を追求すべきだと考えていました。ところがあの頃は「感性? そんなものが製品の価値に関係するのか?」というのが大半の意見で、すべての製品の価値はデータや数値に置き換えられるのが普通だったんですね。だから中島さんからSTEAM教育のお話などを聞くと、「ようやく感性の時代の入口に立つことができた」という感慨があります。
中島:20世紀は「課題解決の時代」であり、よりよい生活を実現することに多くのリソースが割かれてきました。たとえば、どこへ行っても年中エアコンが効いていて、暑い夏も寒い冬も快適に過ごすことができる。そういったことが「豊かさ」だと考えられていたわけですが、21世紀になると「豊かさ」の意味するものがそれだけではないことに、多くの人が気づき始めた。私は21世紀を「課題設定の時代」だと考えています。そしてアートやリベラルアーツは「問いをつくる力、それを形にする力」を養う分野です。0歳から120歳まで、みんなが子どものように「なぜ?」という好奇心を持ち、それを形にして表現することで、「つくる喜び」を知る。そのためには、つねに五感を開いた状態でいること、成功よりも失敗をたくさん経験することが大切だと思っています。この話がうまくオーディオの話につながっていくのか、あまり自信がありませんが……(笑)。
小川:とても興味深いヒントをいただけたと思います。小林さんはいまの中島さんのお話を聞いて、どんなことを考えられましたか? 小林さんは2000年代前半に月刊アスキー編集部に所属され、長くIT関連の発展を間近で見ておられた方です。現在も角川アスキー総合研究所の取締役という立場で、さまざまなモノ・コトを見ていらっしゃいます。いわばトレンドウォッチャーですね。いっぽうで熱心なオーディオファンでもいらして、イヤホンやヘッドホンなどのガジェット系からいわゆるハイファイオーディオまで幅広い知識をお持ちです。
小林久さん(以下、小林):
実はこの鼎談に参加させていただくにあたり、小川さんと中島さんの「理系出身でピアニスト」という共通点についていろいろ思いを巡らせていました。そして、いまここでリベラルアーツの原点となった自由七科で「数学と音楽が同じカテゴリーに属していた」とうかがい、「なるほど」と膝を打った次第です。私自身の音楽、あるいは音との関わりをお話しさせていただきますと、まず小さいころに少しだけピアノを習ったものの、おふたりとは違って長続きしませんでした(笑)。ただ、その後大学で音楽部に所属してルネッサンス期やバロック期の音楽に触れる機会を得たり、パソコンを使って自動演奏のプログラミングを組んで作曲のまねごとをしたりと、自分なりに音楽や音と接してきました。こうした経験を通じて、確かに音楽には計算や数学の要素があり、拍子や和声といった数の秩序が音楽の調和と深く関係していると感じていました。
最近よく考えるのが「“いい音”、“本物の音”って何なのだろうか?」ということです。解像度が高いとか、ワイドレンジであるとか、いい音を表現する言葉はたくさんありますが、特にこの10年間で「空間の再現」が話題に上る機会が増えました。ハイレゾリューションのフォーマットや空間オーディオもホールの残響や音の定位といった空間性をより明確に伝えるための手段と受け取っています。
音楽は祝祭や儀式といった特別な場で奏でられることを目的として発展した芸術です。つまり、場と一体となって存在するものでした。オーディオはこうした「場」から演奏の部分だけを切り出し、さまざまな場所で楽しめるようにしました。現在はスタジオでの収録が主流になり、デジタルのデータを組み合わせた「打ち込み」といった手法もよく用いられます。ライブは盛んですが、楽器や声といった生の音に直接触れる機会は減っているかもしれません。その一方で、ゲームやメタバースのような人工的に作られた空間で音に接する時間が増えていて、これに現実を上回る「真実味」を感じることもあります。現実にある音を細心の注意を払って収録し、その情報をつまびらかに再現するという、オーディオの目的が少し変わってきているように感じるのです。
小川:そうですね。私が最近よく思うのは、「選択肢を狭めないで欲しい」ということです。音楽にせよオーディオにせよ、現代は本当に幅広い選択肢が用意されています。だから、特に若い方々には「私はこれだけあればOK」「僕の人生にはこれ以外必要ない」と決めてしまう前に、いろいろな可能性を試して欲しいんです。入口は何でもいいと思います。ダンスから入るのもいいし、ゲームから入るのもいいし、コンサートホールの響きを肌で感じるのもいい。何にしても感じる心、感性を優先して欲しいですね。先ほど中島さんのおっしゃった「五感を開く」という姿勢が、感性を磨くのではないかと思います。
中島:そうですね。オーディオもけっして聴覚だけで体験しているわけではないと思うんです。レコードやCDを手に取り、スピーカーからの振動を肌で感じることがトータルな音楽体験としてその人に刷り込まれますから。
感性や身体性を補うのは技術。その技術によって、感性や身体性がさらに磨かれる
小川:小林さんが先ほどおっしゃった「“本物の音”って何なのだろう?」という疑問についてもう少し考えますと、私たちオーディオ協会でもよく「いい音」「悪い音」の基準について議論になるのですが、これが本当に難しいんです。当然ですが、人それぞれに基準は異なりますから。「ハイレゾリューションである」とか「マスターからの劣化が少ない」といったことを基準として掲げることは簡単ですが、だから「いい音」だとは言い切れない。
小林:たとえば、映画では実写でもアニメーションでも、非常に美しい風景が描かれます。観客はそれに感動し、作品の世界に没入します。しかしそれは現実のようで現実ではない、ある意味理想化された「表現」です。ただ、これを真実でないと切り捨てていいかについては、少し悩むところがあります。現実と異なる部分があるにせよ、作り手のイマジネーションを視覚化し、伝えたい情報として示すという意味では真実だと思うからです。
中島:ここ数年、ASMR(編註:Autonomous Sensory Meridian Response:自律感覚絶頂反応)と呼ばれるバイノーラルマイクなどを使って収録された動画/音声コンテンツが世界的に人気を集めていますが、それも現象としては近いかも知れませんね。ASMRを好む人たちは、たとえば知育玩具として使われる「スライム」が壁にペタッと張りつく音などを、高性能なイヤホンやヘッドホンで聴いて楽しみます。そういう感覚や体験を求める人が多いことは理解できます。実際に聴いてみると、とても気持ちいいですし。しかしその一方で、実際のスライムを手に取ることでしか得られない感覚があることも忘れてはいけないと感じています。
小川:以前、開発が進められているバーチャルリアリティ(VR)を体験したことがあります。時期は真冬でしたけど、VRのなかの私は水着を着て、南の島で透明度の高い海の波に揺られている。とにかく映像の色彩感が豊かで、解像度が高くて、凄い世界だと感激しました。でも、装置を外したら、急に現実世界がみすぼらしく思えてしまいました(笑)。そうなると、アニメやASMR、VRの世界にいるほうが楽しいと考える人がいても何ら不思議ではないですよね。
小林:そう思います。語弊のある言い方かもしれませんが、バーチャル空間は「見たくないもの」を見なくてもいい場所ですから。
中島:逆に言えば、現実世界を深掘りしたいと思えるきっかけを与えることがテクノロジーの役目なのかもしれませんね。
小林:ええ。先ほど中島さんがおっしゃった「五感を開く」という言葉にあるように、人間は視覚や聴覚だけでなく、嗅覚や味覚、触覚などを総動員して「体験」をするわけで、未来のオーディオやオーディオビジュアルのカギはそこに隠されているかもしれません。映像や音の解像度は飛躍的に向上しているけれども、それ以外にもできることがあるように思います。
小川:そのためには何から始めたらいいと思いますか?
小林:そこが難しいところですが……(笑)、私も小川さんが最初におっしゃったように「感性の時代」が確かにやって来ていると思います。世のなかの流れとして、「データとして正しいものに合わせる」だけではなく「感覚にフィットするものに合わせる」というほうに向かっているのではないかと。自動音場補正機能を搭載するAVアンプやサウンドバーはすでに当たり前ですが、こういった補正の流れはさらに進んで、個人差や脳の感じ方を加味した最適化が行われています。頭部伝達関数を計測して反映するヘッドホンや、撮影した耳の形状から最適な音を出すイヤホンなどです。こうした「人間の感覚」の真髄を追求して、さらに最適化の技術を突き詰める、という方向性はひとつあるのではないかと思います。
小川:たとえば私の場合、ピアノを弾いている時にある種の「ゾーン」に入り込むことがあるんです。好きなようにインプロヴィゼーションを展開するうちに、自分の弾く音が身体にフィードバックして、細胞のひとつひとつがドライブするような感覚。それをオーディオで再現するにはどうしたらいいんだろう、とよく考えるのですが、そういう話をシリコンバレー在住の知人なんかにすると「こっちにはメタバースでの暮らしこそが自分らしい暮らしだと思っている人がたくさんいるよ」なんて言われるんです(笑)。
中島:よくわかります。私は音楽やオーディオを含むあらゆる体験には「感性」とともに「身体性」が必要だと感じています。たとえば日本各地の祭りに参加して、身体を動かしながらその場の空気を多くの人たちと共有すると、これまでにない景色が自分のなかに現れます。毎日リモート会議ばかりしていると、自分が「生きている」という感覚を得にくいところがありますからね。感性や身体性を補うものとして技術があり、その技術によって感性や身体性がさらに磨かれる、というのが理想だと思います。
小林:やはり音楽には「生もの」としての側面もありますよね。特にフィジカルな演奏や歌唱が含まれる音楽の場合、その日の湿度やホールの広さなど、さまざまな因子によって仕上がりが変わりますから。
小川:最初に中島さんから「音楽は宇宙の調和を聴くこと」というお話がありましたが、この自然界と人間は、それぞれにリズムを刻んで動いています。それは太陽や地球の周期であったり、人間の心臓の鼓動であったりするわけですが、それぞれが自分たちのリズムを保っているからこそ、宇宙の調和も保たれると思うんです。AIのさらなる進化やメタバースの拡張などが話題になりますが、おふたりのお話を聞きながら「すべてのモノ・コトが持つ独自のリズムを止めることなく、並走させる」ということがオーディオの世界でも大切ではないかと考えました。
鼎談は9月中旬、都内にて実施。和気あいあいとした雰囲気の中で闊達な意見がかわされた
コストパフォーマンスよりタイムパフォーマンス。そのときオーディオにできることは?
小川:私たちの産業は、これまで長く価格対性能比、いわゆる「コストパフォーマンス」を優先してきました。いかに高品質な製品を、お手頃な価格でお届けするか。それが現代は「タイムパフォーマンス」最優先に変わってきています。特に若い世代の方は、コスパよりタイパ。とにかくタイパの高いものを好む傾向があると思うんです。たとえばポピュラー音楽の世界では、ここ10年ほどでイントロの長さが半分から3分の1程度になっていて、楽曲そのものの演奏時間も平均5分前後だったものが3分前後にまで短くなっていると聞きました。
中島:タイパの高さを求める傾向は、小さな子どもたちを見ていても感じますね。コンテンツを楽しむために割く時間が、どんどん短くなっている。
小川:音楽や映画は、リアルな時間を消費する芸術です。その消費のために必要な時間の感覚が、世代を重ねて短くなっているんですね。1曲あたり30分や1時間もあるクラシック音楽はもちろん、たった3分のポップスもすぐにサビがこないと聴いていられない。そういう意味で、私がオーディオ協会の会長として一番意識を向けたいと思っているのが若い方たちです。何よりタイパを重視するけれど、音楽を聴くこと自体は大好き。できればいい音で聴きたいと思っている。そういう方が少なくないことは、比較的高価なイヤホンやヘッドホンがこの世代を中心によく売れていることからも明らかです。
小林:そうですね。街を歩いていても、ワイヤレスイヤホンやヘッドホンを着けている方をとても多く見かけます。ユーザー人口は、私たちの年代よりも明らかに多いように感じます。彼らは、“ながら”で音楽を聴いているというよりも、日常生活と音楽再生という2つの時間軸が連続して存在し、自由に行き来しているように見えます。ある時は、日常生活の音に集中し、別のタイミングでは音楽に集中する。集中力のつまみを調節し、配分しているのではないでしょうか。
小川:加えて、女性への訴求もオーディオの大きな課題だと思っています。オーディオという業界は、つくり手もユーザーも8割から9割が男性で占められています。オーディオ協会の個人会員もほとんどが男性です。まだまだ多様性からはほど遠いのが現状ですが、私が会長を務めさせていただくことで、少しでも状況が変わっていけばいいなと思っているところです。
小林:私自身の経験も含めて考えますと、オーディオは集中力と時間を要する趣味です。ですから、たとえ休日でもスピーカーの前に座って数時間じっと音楽を聴いて過ごすような若い人はなかなかいないでしょう。音楽も映像も、消費しきれないほどのコンテンツがどんどんストリーミングで流れてくる時代ですから、そういった日常にどう寄り添うか、どう馴染ませるかがオーディオに与えられた課題かもしれません。また、女性にユーザーが少ないという点に関しては、「オーディオ=ひとりの趣味」というイメージが壁になっているように思います。
中島:正直なところ、私もオーディオにそういうイメージを抱いています。だからこそ深みのある趣味になっているという側面もあると思いますが、多様化を図るという意味では考えるべきポイントですね。
小林:楽器を演奏する人口は、きっと女性のほうが多いと思うんです。ダンスやエクササイズをやっている方も多いので、より身近に音楽があるという印象を持っています。そのうえで私が思うのは、「オーディオという趣味に、もっとコミュニケーションの要素が増えればいいのに」ということ。カセットテープ全盛の時代には、好きな曲を集めて編集したテープをつくり、友人と交換するといった文化がありました。現在もプレイリストを作成してシェアする文化はありますが、人と会って物理的な何かを交換したり、一緒に聴いたりするのとはまた違いますよね。「だからカセットテープの時代に戻るべきだ」と言うつもりはもちろんありませんが、人と人がつながるハブとしてオーディオにできることを、改めて考える時期が来ているのではないかと。
中島:私もそう思います。放っておくと消えてしまう「音」という空気の振動を、記録して後世に残すことができる。オーディオという発明の凄さは、何よりそこにあります。最初に小林さんがおっしゃったように、オーディオがあれば「その場」にいなくても音楽が楽しめるようになる。それは、場所や時代を自由自在に移動して旅をするようなものです。そこにコミュニケーション、人と人がつながる喜びが加われば、これまで体験したことのない世界が待っているように思います。
小川:近年、オーディオ協会には日本のオーディオメーカーだけでなく海外のメーカー、IT系企業、デバイスメーカーなど、さまざまな分野の会員が増えています。先ほど「まだまだ多様性からはほど遠いのが現状」とお話ししましたが、多様化する基盤は整いつつあるんです。現在クルマ業界が直面している「どのようにEVトランジション(電気自動車への移行)を実践するか」という問題は、オーディオ業界にもそのまま当てはまります。多様なプレイヤーを巻き込んで、従来のオーディオのあり方に囚われない活動を展開していきたいと思います。
感性と身体に訴える、<場>と共にあるオーディオを、日常のなかで享受できる世界を
小川:ここまで広い視野でいろいろなお話をしてきましたが、最後にもう少し具体的なオーディオの話もしておきましょう。小林さんは熱心なオーディオファンでいらっしゃいますが、これからのオーディオにはどんなコンセプト、どんな形をお求めになりますか?
小林:私個人としては、オーディオはもっと自由な形態を模索していっていいと考えています。大きくてスペースを取るものは置けない、また大きな音が出せない。日本の家庭では、ここに高いハードルがあると思います。壁掛けでコンパクトだけれど抜群に音がよかったり、指向性をコントロールして必要な場所にだけ音を届けられたり。新しい技術を応用した様々な提案があるべきだと思います。専用のリスニングルームを構え、大型の機材を揃えていい音を追究する。これはオーディオファンが目指すひとつの理想です。その一方で、生活に馴染みやすいミニマムなオーディオシステムを使って、より音楽に触れられる時間を延ばす。これもひとつの理想ではないでしょうか。
机に置けるぐらい小型のスピーカーで、音楽だけでなく映画やYouTubeも楽しむのもいいし、テレビにつなげられるハーフサイズの一体型コンポにデザインのいいブックシェルフスピーカーを組み合わせるのもいい。小川さんが責任者でいらっしゃるテクニクスブランドは、高級ラインのReference Classから比較的コンパクトな製品を中心としたPremium Classまで広いラインナップを用意されています。私は小さいモノが好きなので、Premium ClassのOTTAVAシリーズのようにコンパクトで上質感のある製品は素敵だなと思います。
小川:ありがとうございます。小さくてスマートな、宝石箱のように美しいオーディオ機器をお届けすることは、私の長年の願いでした。もちろん、大きくて重い昔ながらのオーディオ機器もあっていいんです。でも一方で、女性用のコンパクトなハンドバッグが30万円するのであれば、オーディオにもそういう製品があっていいじゃないでしょうか。そこを理解していただいて、とてもうれしいです。
小林:やはり、「小さくても上質でいい音がする」というのは、日本のモノづくりの得意分野と言いますか、技術の見せどころだと思います。
小川:中島さんからは、日本のオーディオ、あるいはオーディオ業界のイメージを変革する必要があると改めて教わったように思います。
中島:ここまでのお話ししたことの総括かもしれませんが、「感性と身体に訴える、<場>と共にあるオーディオ」というのがひとつのテーマではないかと思います。近年、ドルビーアトモスなどの立体音響が急速な進化を遂げていることも、その流れと捉えていいのではないでしょうか。身体性を伴う音響体験という意味では「祭りの復興」と言ってもいいでしょう。時代や場所から解放される点がオーディオの大きな可能性ではあるけれど、その時代とその場所でしか得られない体験とともにオーディオがある、というのも一方では大切ではないかと思うんです。それからもうひとつ、あらゆる文化やアートは日常生活と共にあるべきだと私は考えています。オーディオという趣味には、どこか高尚で非日常的なイメージがありますが、音楽は本来、もっと身近で親しみやすいものです。やや抽象的な表現になりますが、オーディオ協会からそういうメッセージが発信されることで、未来のオーディオはとても明るいものになると思います。いろいろなことを仕掛けて、本当の意味での「音の魅力」を伝えていただきたいです。
小川:話は尽きませんが、未来のオーディオに関するヒントをたくさんいただけたと思います。本日はありがとうございました。明るいオーディオ、開かれたオーディオを普及するため、今後もオーディオ協会は前進を続けていきます。(了)
鼎談者プロフィール
- 中島さち子(なかじま さちこ)
音楽家(ジャズピアニスト・作曲家)、数学者・STEAM教育者
株式会社steAm 代表取締役、東京大学大学院数理科学研究科 特任研究員
高校時代数学に没頭し、1996年国際数学オリンピックインド大会で日本人女性初の金メダルを獲得。東京大学理学部にて数学を学ぶ一方ジャズに出会い、一転音楽の道へ。現在は、音楽・数学・教育の3つの分野で活動中。全国の学校や教育委員会、企業等でさまざまな講演・公演・ワークショップ・研修等を実施する傍ら、演奏活動やアート創作、研究、教育プログラム開発等を進めている。