日本オーディオ協会 創立70周年記念号2022autumn

『アナログ、復権の10年』
「Lacquer Master Sound」
アナログレコード技術を応用した高品位ハイレゾ配信
ミキサーズラボ 内沼映二 インタビュー

ミキサーズラボの「Lacquer Master Sound」がもたらす、
新たな音楽の楽しみ方。
ハイレゾ配信だけでなく、ディスクメディアへの適用も期待できる

株式会社ミキサーズラボの提案する「Lacquer Master Sound」は、アナログレコードの原盤となる「ラッカー盤」の音のよさに着目した新技術である。既存の音源をハイレゾとして配信する際、音源を一度ラッカー盤にカッティングしてからデジタイズすることにより、ラッカー盤ならではの倍音成分などを付加するというもので、CD時代に44.1kHz/16ビットのデジタルマスターでアーカイブされた音源などを中心に、大きな効果を発揮するという。ここでは同社会長であり、レコーディングエンジニアとしても長く輝かしいキャリアを誇る内沼映二氏に「Lacquer Master Sound」の生まれた経緯やその効果、今後の展望などをうかがった。

――はじめに「Lacquer Master Sound」のカギとなる「ラッカー盤」について教えてください。

内沼さん(以下、内沼):
ラッカー盤とは、アルミニウムの円盤にラッカーが塗布されたもので、アナログレコードの製造工程で最初に作成する原盤です。まずはカッティングルームにてアナログマスターテープ、もしくはデジタルマスターの音源からラッカー盤をカッティングし、プレス工場に持ち込みます。そのラッカー盤(音溝は凹)からニッケルメッキでメタルマスター(凸)、銅メッキでメタルマザー(凹)、再度ニッケルメッキでスタンパー(凸)を作成し、そのスタンパーから塩化ビニール素材のアナログレコード(凹)を量産するわけです。制作工程全体を川の流れにたとえるなら、ラッカー盤はもっともマスターに近い「川上」にあるので、非常に鮮度の高い音を聴くことができます。

――市販されるアナログレコードの「大もと」になる盤というわけですね。

内沼:そうです。しかしこのラッカー盤は、残念ながらわれわれレコーディングエンジニアや制作担当スタッフ、アーティスト本人や参加ミュージシャンなど、限られた関係者しか聴くことができません。一般の方が聴く機会はまずないと言っていいでしょう。なぜならラッカー盤は、あまりにも盤そのものがデリケートで「日持ち」しないからです。一般的には数回再生すれば駄目になってしまうと言われています。私自身、キャリア初期から幾度となく新子安の日本ビクター横浜工場などでカッティングの現場に立ち会ってきましたが、その度に「ラッカー盤の音は素晴らしいな」と感じていました。もちろん、市販されるビニール素材のアナログレコードの音がよくないと言っているわけではありませんが、ラッカー盤の音のよさは、時としてマスターテープ以上に艶やかだと感じることもあったほどです。

――マスターテープ以上、ですか?

内沼:はい。私だけでなく、多くのレコーディングエンジニアやカッティングエンジニアが経験的にそう感じていました。ラッカー盤の音を聴いたアーティストやミュージシャンにもよく聞かれました。「なぜラッカー盤のほうが音がいいの?」と。物理的、特性的には「マスターよりもラッカー盤のほうが音がいい」ということはあり得ません。しかし聴感上の音質という意味で言えば、ラッカー盤のほうがハイエンド(高域)の伸びが付加され、艶やかな音と感じる場合が多かった。当初はなぜそのような現象が起こるか、まるで理解できなかったのですが、弊社の菊地(編註:株式会社ミキサーズラボ副会長の菊地功氏)と北村(同:カッティングエンジニアの北村勝敏氏)が中心となってさまざまな研究を重ねるうち、その理由が少しずつわかってきました。高域が20kHzまでしか含まれないCDの音源をラッカー盤にカッティングし、ビフォー&アフターの帯域を測定してみると、なんとラッカー盤の高域は50kHzまで伸びていたのです。

――「ハイエンドの伸びが付加されている」と感じたことが、データ上でも証明されたわけですね。

内沼:ええ。私たちがアナログレコードを聴いて「艶やかだ」と感じるのは、高域に多くの倍音が含まれているからです。レベルとしては小さなものですが、50kHzまでの倍音が付加されることが音質的なスパイスになっているのでしょう。もうひとつ、「アナログレコードの音のよさって、どんなところ?」と聞いたときに、多くの方が「音がやさしい」と答えます。これはどういうことなのか。10kHzの角ばった矩形波(くけいは)を録音してラッカー盤にカッティング、再生すると、滑らかなサインカーブ(正弦波)になる。つまり、比喩表現ではなくて、実際に「音の角が取れる」という現象が起こっているわけです。


「Lacquer Master Sound」では、高域成分の伸長と合わせて、倍音成分が付加される効果もあるという。写真では10kHz付近にある基音をもとに、2倍(20kHz)、3倍(30kHz)、4倍(40kHz)、5倍(50kHz)の倍音があるのが認識できる(資料提供:ミキサーズラボ)

――「倍音の付加」と「音の角が取れる」ことが、ラッカー盤の音の魅力につながっていると。

内沼:そうですね。「人間の耳に聴こえるかどうか」ではなく、「盤に刻まれているかどうか」が大切だということです。音として盤に刻まれていることが、可聴帯域の部分にまで影響を与えるようです。CDの帯域は「人間の耳は20kHzあたりまでしか聴こえないから、それ以上はカットしよう」と規定されたものですが、やはりその帯域が実際に含まれているかどうかで印象に大きな違いが生じます。広い意味での「音質の違い」として表れるのです。数十年前から漠然と感じていたことが、機器の進歩で確認できるようになりました。

――こういったラッカー盤の特性をハイレゾ音源のフィールドに活かしたのが「Lacquer Master Sound」ということになるわけですが、そもそもこのプロジェクトが始まったきっかけは何だったのでしょうか。

内沼:CD時代の初期、つまり80年代の音源は、多くが44.1kHz/16ビットのデジタルマスターでアーカイブされています。アナログ録音されたマスターテープや、もともと96kHz/24ビットなどのハイレゾ品質で録音されたデジタルマスターとは違い、こういったCDクォリティの音源は20kHzより上の帯域が含まれていません。44.1kHz/16ビットのデジタルマスターをさまざまなアップコンバート技術を用いてハイレゾ化する試みもありますが、「Lacquer Master Sound」ならそういったものとは異なる音質的な魅力を付加できるのではないかと思い、レコード会社に提案しました。CD時代のデジタル録音にも、後世に聴き継いでもらいたい名盤はたくさんありますから。CD時代の音源だけでなく、「Lacquer Master Sound」はアナログ録音されたマスターテープやハイレゾ品質で録音されたデジタルマスターに適用しても付加価値を与えることができます。


「Lacquer Master Sound」の作業工程のイメージ。アナログ/デジタルマスターを一度ラッカー盤にカッティング。そのラッカー盤を再生して得られたアナログ音声をデジタル化する、というのが基本の考え方。再生機器のチョイスも含めて、ミキサーズラボの長い経験とスキルが活かされている

――デジタイズ(デジタル化)の環境や使用機器の選定に関しても、さまざまな試行錯誤があったようですね。

内沼:はい。これも菊地や北村が中心になって進めてくれたのですが、カッティングされたラッカー盤を再生する機器については特に検証を重ねました。その結果、カートリッジはオルトフォンのMC型SPU Classic GE MK II、MCトランスは同じくオルトフォンのST-90、フォノイコライザーはフェイズメーションのEA-550という組合せで意見が一致し、現在のメインシステムとして使用しています。作品によっては使い分ける必要も出てくると思いますので、今後は他の組合せも考えられますが。

――ラッカー盤の回転数は33 1/3回転ですか? それとも45回転ですか?

内沼:作品によって最適と思われる回転数を選定しています。たとえば中森明菜のライヴ作品『Listen to Me ー1991.7.27-28 幕張メッセ Live<Lacquer Master Sound>』は33 1/3回転、角田健一ビッグバンド『“Lacquer Master Sound” meets The BIG BAND, Vol.1』では45回転です。また、ラッカー盤のカッティングについては、以前から自社に設置されているノイマンのカッティングマシンVMS80とカッターヘッドSX-70を使用していますが、できるだけ音のいい外周部分だけを使うようにしています。ラッカー盤1枚につき、切ることのできる曲数は1〜2曲程度です。正直なところ、通常のハイレゾ音源の制作の倍以上の時間と手間がかかりますが、それだけの価値のある音を聴いていただけると思います。明菜さんの音源で言えば、特にヴォーカルの再現性が素晴らしいので聴いてみてください。

――現時点で「Lacquer Master Sound」を適用したハイレゾ音源は、基本的に96kHz/24ビットで配信されていますね。これにも理由があるのですか?

内沼:もちろん192kHz/24ビットやDSDといった選択肢もありますが、まずは「Lacquer Master Sound」という技術を多くの方に聴いてほしいという思いから、さまざまなハイレゾフォーマットのなかでも汎用性が高いと思われる96kHz/24ビットを選んでいます。今後は他のレートでのリリースもあり得ますし、もっと言えばハイレゾのダウンロード音源以外のリリースがあっていいと思っています。

――それは「Lacquer Master Sound」を適用したCDやアナログレコードということですか?

内沼:そうです。「Lacquer Master Sound」の工程を経てデジタイズされた音源を最終的にCDやアナログレコードに落とし込んでも、その効果はしっかり感じられます。「CDは20kHz以上が入らないのに?」と思われるかもしれませんが、先ほどお話ししたような聴感上の違いはCDでも明らかです。いずれ「Lacquer Master Sound CD」といった展開もできると嬉しいですね。SACDでは、すでに商品化もされています。昨年ステレオサウンド社からリリースされたSACD『小椋佳』の15曲目「眦(まなじり)」では、48kHz/24ビットのデジタルマスターを「Lacquer Master Sound」で384kHz/32ビットでデジタイズ、最終的にSACD用にDSD2.8MHzに変換して収録していますが、こちらも大きな効果を感じていただけると思います。

――今後の展開がとても楽しみです。本日はありがとうございました。

プロフィール

内沼映二(うちぬま えいじ)
株式会社ミキサーズラボ 会長
1944年、群馬県生まれ。テイチク、ビクター、RVC録音部を経て、1979年にレコーディングエンジニア集団の株式会社ミキサーズラボを設立。レコーディングスタジオのWESTSIDE、LAB Recordersを自社スタジオとして運営。その他、多数のスタジオプランニング・運営を行ない、1999年よりWARNER MUSIC MASTERINGを運営。1994年から1998年、2007年から2015年の通算12年にわたり、一般社団法人日本音楽スタジオ協会の会長を務め、現在は名誉会長となる。