日本オーディオ協会 創立70周年記念号2022autumn

『アナログ、復権の10年』
「ダイレクトカッティング」
究極のアナログを目指し、温故知新の手法を復活
キング関口台スタジオ 高橋邦明 インタビュー

21世紀に復活した「ダイレクトカッティング」。
その鮮烈な音を、ぜひ多くの方に体験してほしい

2019年、東京・文京区のキング関口台スタジオが、アナログレコードの「ダイレクトカッティング」に対応を果たした。ダイレクトカッティングとは、スタジオでの演奏をリアルタイムでラッカー盤に刻む手法で、2022年9月の取材時点でそのシステムが大編成オーケストラを録音できるスタジオに常設されるのはイギリスのアビー・ロード・スタジオとキング関口台スタジオのみ。デジタル領域をいっさい通過しないこの録音方法に、プレス工程のいくつかをスキップする「ダイレクトマスタースタンパープレス」を掛け合わせることで、きわめて生々しく鮮烈なサウンドを実現させるという。このプロジェクトが始まった経緯や実現に向けたエピソードを、同社テクニカルエンジニアの高橋邦明氏にうかがった。

――最初に「ダイレクトカッティング」という技術の特徴について教えてください。

高橋邦明さん(以下、高橋):
アナログレコードを製造するためには、通常さまざまな工程を踏む必要があります。まずアナログマスターテープ、もしくはデジタルマスターから、「盤」の大もととなるプロダクションマスター、つまりラッカー盤を製作します。その後、ラッカー盤からメタルマスター、メタルマザー、スタンパーを作成し、最終的にはスタンパーを用いて塩化ビニール素材のアナログレコードを量産プレスしていきます。ダイレクトカッティングは、このラッカー盤の製作を録音済のアナログテープやデジタルファイルからではなく、マイクロフォンで拾ったリアルタイムの演奏をミキシングコンソール経由で直接カッティングマシンに送り、音溝を刻む技術です。現代のレコーディングはデジタル録音が主流ですが、ダイレクトカッティングの技術を使えば、いっさいデジタル領域を通過することなくラッカー盤に音溝を刻むことができます。手法としてはSP時代のカッティングとほぼ同じです。

――ダイレクトカッティングを用いた高音質アナログレコードは、CDが普及する以前の70年代や80年代前半にはさまざまなレコード会社がリリースしており、オーディオファイルを中心に高い人気を誇っていました。そのダイレクトカッティングを、どうしてこのタイミングで復活させたのでしょうか。

高橋:もちろんアナログレコード人気の再燃が大きな後押しになったことは間違いありません。まず社内のカッティング環境を整えたいという思いがあり、そこから「せっかくならダイレクトカッティングを」という声が社内で高まっていきました。と言うのも、私どものスタジオには40〜50名の大編成オーケストラを一発録音できる「第1スタジオ」があります。この環境を利用しない手はない。そこで第1スタジオとカッティングルームを直結する通線工事を行ない、ダイレクトカッティングができる環境を整えました。それ以前、こういった大編成の演奏をダイレクトカッティングできる環境が常設されたスタジオは、世界でもアビー・ロード・スタジオのみだったそうです。2017年10月にカッティングマシンが到着し、2019年春にメインテナンスが完了。同年7月にお披露目を兼ねて、関係者に向けてダイレクトカッティングの実演会を行ないました。商品として最初にリリースされたのは、同年11月の井筒香奈江さんの『DIRECT CUTTING at KING SEKIGUCHIDAI STUDIO』です。

――カッティングマシンはノイマン製のVMS70とVMS66が用意されたとのことですが、この2台はどこから調達されたものですか?

高橋:遡ってお話ししますと、キングレコードの初代スタジオは1936年、文京区音羽の講談社の裏に建設されました。1964年に同じ音羽に本社ビルが新設され、スタジオ機能もそちらに移ったのですが、レコードのプレスは埼玉工場で行なわれ、最盛期は5台のカッティングマシンが稼働していました。1984年に埼玉工場が閉鎖され、以降は音羽に移設された2台のみが稼働を続けました。この2台が、今回用意されたVMS70とVMS66です。VMS70は1991年に一旦現役を退き、弊社の倉庫で厳重に保管されていたのですが、カッターヘッドのSX74やカッティングアンプのSAL74B、カッティングコンソールのSP75ほか、カッティング針やマニュアルなども一緒に見つかり、少しのメインテナンスを施せば再稼働できることがわかりました。モーターアンプを純正のノイマン製からテクニクス製に交換するなど、当時のエンジニアによるさまざまな工夫が加えられています。

もう1台のVMS66カッティングマシンは、キングレコードがアナログレコードの生産を終了した2004年まで音羽スタジオと、1996年に開設したここ関口台スタジオで稼働したのち、歴史的価値の高さから八王子にある音響専門学校に寄贈されました。学校のご厚意で2017年に返却いただいたのですが、こちらは現在もメンテナンス中です。6G-B8ビーム管によるパラレルプッシュプル駆動で、過去にはキングレコードの高音質盤『SUPER DYNAMIC SOUND』シリーズなどもカッティングしていた個体です。

――どちらもキングレコードの名盤を数多く生み出してきたカッティングマシンなのですね。リリース第1弾の井筒香奈江さん『DIRECT CUTTING at KING SEKIGUCHIDAI STUDIO』は、レコーディングエンジニアがミキサーズ ラボ所属の高田英男さん、カッティングエンジニアがキング所属の上田佳子さんとクレジットされています。

高橋:はい。高田さんは長くビクタースタジオでキャリアを積まれ、現在も数多くの高音質作品を手がけられていますが、ダイレクトカッティングのレコーディングは40年ぶりとのことでした。もっと言えば、ダイレクトカッティング盤がリリースされること自体、日本では今世紀初だったようです(編註:2016年にベルリン・フィルレコーディングスから、ブラームス交響曲全集が発売されている)。演奏をその場でラッカー盤にカッティングしていくわけですから、演奏者はもちろん、レコーディングエンジニアとカッティングエンジニアの緊張感も並大抵ではありません。少しでもフェーダーの操作を誤ったらやり直し、カッティング時の音溝の削りカスが絡まってもやり直しですから……。

また、同じスタジオ内ではあるものの、第1スタジオの録音ブースとカッティングルームはフロアが地下1階と2階と異なっているため、スタジオとブースが目の前にある一般的なレコーディングとは勝手が違いました。レコーディングエンジニアではなく、カッティングエンジニアがキュー出しをするという、きわめて特殊な状況で録音が行なわれたのです。具体的には「REC」ランプの点灯を目印に、プレイヤーが演奏を始めました。

――演奏者だけでなく、レコーディングエンジニアも緊張するセッションになりますね。

高橋:そうですね。しかもこのシリーズでは、ダイレクトカッティングに加えて「ダイレクトマスタースタンパープレス」という手法でプレスを行なっています。最初に申し上げたように、通常のレコード製造ではラッカー盤→メタルマスター→メタルマザー→スタンパーという工程を経て、塩化ビニール素材のアナログレコードが量産されるわけですが、これはラッカー盤から直接スタンパーを作成する手法です。ここで万が一ミスが発生するとラッカー盤そのものを破棄しなければなりませんから、レコーディングはバックアップのため各曲3テイクずつお願いし、A面/B面とも3種のラッカー盤をカットしました。

――演奏は一発録り、録音はダイレクトカッティング、プレスはダイレクトマスタースタンパープレスと、失敗の許されない工程が続くわけですね。

高橋:ええ。最初にテストカッティングをして家庭用コンポーネントで再生したのですが、そこにいた全員がその鮮烈な音に打ちのめされました。ここまでの音が聴けるのかと……。

今世紀初のダイレクトカッティング盤ということでオーディオファイルの方にも少なからず注目していただき、予約分だけで完売してしまいました。ダイレクトマスタースタンパープレスという手法上、残念ながら大量生産ができないのですが、2020年7月にはPyramix+HorusのDSDフォーマットで同時録音されたDSD11.2MHz/1ビットマスターからラッカー盤をカット、同じくダイレクトマスタースタンパープレスで製造された『DIRECT CUTTING at KING SEKIGUCHIDAI STUDIO(DSD11.2MHz/1bit Master Cut)』がリリースされたほか、音源は各種ハイレゾファイルのダウンロード配信でもリリースされています。

――その後はどのようなタイトルがリリースされているのでしょうか。

高橋:2020年11月に第2弾となるピアニスト・八木隆幸さんによるトリオ作品『CONGO BLUE』がディスクユニオンさんのレーベル「Jazz TOKYO RECORDS」からリリースされました。こちらはレコーディングエンジニアが弊社の吉越晋治、カッティングエンジニアは前作に引き続き上田が担当しています。第27回日本プロ音楽録音賞では、先の井筒さんの『DIRECT CUTTING〜』がSuper Master Sound部門の優秀賞、八木さんの『CONGO BLUE』がアナログディスク部門の優秀賞を受賞しています。続く2021年5月には第3弾となるピアニスト・山本剛さんのトリオ作品『MISTY for Direct Cutting』が同じくディスクユニオンのレーベルからリリースされました。レコーディングエンジニアは弊社の松山努、カッティングエンジニアは日本コロムビアの田林正弘さんにお願いしています。


写真左上が『DIRECT CUTTING at KING SEKIGUCHIDAI STUDIO/井筒香奈江』(JellyfishLB)、右上が『CONGO BLUE/八木隆幸トリオ』(Jazz TOKYO RECORDS)、下が『MISTY for Direct Cutting』(Jazz TOKYO RECORDS)

――今後の展望を教えてください。

高橋:やはりいつかは大編成のオーケストラ録音にチャレンジしたいですね。関連会社のキングインターナショナルではベルリン・フィルの自主レーベル、ベルリン・フィルレコーディングスを取り扱っています。さすがにベルリン・フィル全員でダイレクトカッティング、というわけにはいかないかもしれませんが、来日時に小編成での録音だったらいけるのでは……などと想像を膨らませています。

いずれにしても、アナログレコードの需要が高まっているからつくるのではなく、つくるからには最高のものをつくりたい。その想いからダイレクトカッティングのプロジェクトはスタートしました。そして実際に聴いたダイレクトカッティングの音は、私どもの想像を遥かに超える感動を与えてくれました。自分たちの味わった感動を、少しでも多くの音楽ファン、オーディオファイルに届けるため、ダイレクトカッティングの作品をつくれるような体制を整えていきたいと思います。

――本日はありがとうございました。

プロフィール

高橋邦明(たかはし くにあき)
株式会社キング関口台スタジオ 経営本部長
1967年、高知県生まれ。1990年、キングレコード株式会社に入社し、録音部に配属。当時の音羽スタジオにてテクニカルエンジニアとしてスタート。カッティング・エンジニアの牧野晃氏に師事する。CD作品ではキングレコードの「Superphonic Mastering」シリーズを主動。サラウンド音源を含めたDVDオーディオ作品、SACD作品のリリースにも多数携わる。2000年よりキングレコードの子会社として独立した株式会社キング関口台スタジオにて従事する。第8回、第16回日本プロ音楽録音賞受賞。2019年、倉庫に眠っていたカッティングマシンを蘇らせ、アナログレコードのダイレクト・カッティング手法を再構築、作品のリリースを実現する。2022年より一般社団法人日本音楽スタジオ協会の副会長を務める。

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