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2022spring
連載:思い出のオーディオ Vol.6
一般社団法人日本オーディオ協会会長小川 理子
3月末に、ドバイ国際博覧会に行ってきました。万博視察は2005年の愛知県での「愛・地球博」以来で久しぶりでしたが、多様な国・地域の文化歴史を知り、これからの未来に向けてサステナビリティを問う姿勢を認識する貴重な機会でした。暑い場所ですので、夕暮れ時から人出が混雑しはじめ、夜のライトアップに表情を変えたパビリオンからは、中近東のアラブの音楽や、西アジア、南アジア、東南アジアの音楽が聴こえてきて、異国情緒を満喫できました。
私は旅・観光が大好きで、また旅に出ると街歩きをよくします。目的もなく、見知らぬ街を歩くと、いろんなセレンディピティがあり、それが面白いのです。そのなかでも、通りでその地域特有の楽器を演奏していたりすると、必ず立ち止まって聴いてしまいます。チェコを旅した時、あの有名なカレル橋の上でチター弾きがいて、何ともいえない哀愁のある音色でポロポロと弾いていました。そのかたわらに、チターの演奏を記録したカセットテープが売り物として置いてあり、思わず買ってしまいました。日本に帰国して、そのカセットテープを聴くと、どうもカレル橋の上で聴くチターと心的印象が異なるのです。たぶん音色は同じなのでしょうが、聴いている周囲の風景や環境によって感じ方が違ってくるのですね。これまで音にまつわるそういう経験は山ほどありますが、お土産物で買う食品なども同じ経験があります。その土地で食べるととっても美味しいのに、買って帰って自宅で食べると、どうもワクワク感が違う。人間の感覚、感性とはそんなものですね。しかし、今ならネットでなんでも手に入る。音楽であろうが、食品であろうが。ワールドミュージックだって一瞬にして検索できて、いつでもどこでも聴くことができる。本当に多様な音楽との出会いが日常茶飯事になって、便利になったといえますが、前述のような特別感がなくなりました。
先日、家族と東京で週末を過ごす機会があり、国立劇場の横にある国立演芸場に初めて入りました。美術館に行こうか、庭園を散策しようか、あれこれ探索する中で、生の講談を聴いてみよう、ということになりました。演目一覧には神田伯山の名前があったのですが、残念なことに当日会場で何かの事情で代理の方の出演になっていました。それまで、講談をまともに聴いたことがなかったのですが、自宅に帰ってYouTubeの伯山チャンネルを観てみると、面白くて次々と聴き入ってしまいました。落語はYouTubeでよく聴いていましたが、講談がここまで面白いとは知りませんでした。もっと言うなら、神田伯山の講談が大変面白くて、講談が大好きになりました。声の質、声の使い分け、声の表情、間の取り方など語りのうまさ、聴衆を惹きつける総合的な表現力、などなど、本当に名人芸だと思います。そして、こういう語り物が、いわゆるオーディオブックのようになるのだなあと実感しています。
ラジオは今もなお世界中で売れ続けているオーディオカテゴリーです。キッチンラジオ、お風呂ラジオ、キャンプラジオ、カーラジオなど、様々な空間用途で使われています。私が中高生の頃は、夜の勉強時間は必ずラジオをつけて聴きながら、というのがスタンダードスタイルでしたが、今のSNS世代はどんなスタイルなのでしょう。ながら聴きというのは、TWSでインターネットラジオやストリーミングミュージックを聴いているのでしょうか。メディアは変われど、「聴く」という行為の普遍性に思いを馳せるこの頃です。
今年は、久しぶりに「OTOTEN」をリアル開催する予定で、準備を進めています。しっかりとコロナ対策をして、多くの皆様にご来場いただけることを願っております。
2022年4月