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2021spring
ダイレクトディスク・レコーディングの芸術
名古屋芸術大学
サウンドメディア・コンポジションコース
准教授 長江 和哉
概要
2020年2月、エミール・ベルリナー・スタジオを訪ねトーンマイスターのライナー・マイヤール氏(Rainer Maillard)にダイレクトディスク・レコーディングについてインタビューする機会を得た。本稿では、氏がこれまでに手がけた中から3つの制作事例を音楽録音技術の視点から紹介する。また、クラシック音楽の録音評論で名高いオーディオ評論家の山之内正氏へのインタビューも織り交ぜながら、ダイレクトディスク・レコーディングの芸術性とはどのようなものなのかを考察して行きたい。
ABSTRACT
In February 2020, I had the opportunity to visit the Emil Berliner Studios and interview Tonmeister Rainer Maillard about the Direct-to-disc recording. In this article, I will introduce three production examples that he has worked on with perspective of music recording technology. I will also present an interview with Tadashi Yamanouchi, a well known audio critic for classical music. I would like to talk about the art of Direct-to-disc recordings.
1. はじめに
トーンマイスター、ライナー・マイヤール。ベルリンの音源制作会社、エミール・ベルリナー・スタジオ(Emil Berliner Studios、以下EBS)のマネージングディレクター。氏は、近年3D Audioのレコーディングに積極的に取り組んでいるが、同時にダイレクトディスク・レコーディング(以下、ダイレクトディスク)の制作も数多く手がけており、特に、ラトル、ハイティンクとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下、BPO)のレコードは日本国内でも大きな注目を浴びている。そもそも、今回、EBSを訪問したのは、3D Audioのインタビューを行うためであったが、技術的にはその双璧にあるかもしれないダイレクトディスクの制作手法についても氏の考えに深く触れたいと考え、2020年夏から冬にかけてメールインタビューを敢行した。本レポートは、氏の経歴、EBSの歴史、ダイレクトディスクについて、制作事例とマイク配置、インタビューという内容で構成した。ダイレクトディスクは、現在のデジタル録音比べると多くの技術的制約があるが、その反面、得られる「特別なもの」は何であるか、そして、最終的には「ダイレクトディスクの芸術性」がどのようなものかを考え察していただきたい。
2. トーンマイスター ライナー・マイヤール
ライナー・マイヤール氏は、1960年にドイツ・ベルリンで生まれ、デトモルト音楽大学トーンマイスターコースを卒業した後、フリーランスのレコーディングエンジニアとしてキャリアを始め、1990年にドイツ・グラモフォン(以下、DGG)に入社した。1990年代は、レコード会社の再編が進み、DGGレコーディングセンターは、数年の間でいくつか名前を変え、2000年に創始者の名前が冠されたユニバーサル傘下のEmil Berliner Studios GmbHとなった。その後、2007年、マイヤール氏は、当時の同僚とともに、親会社であるユニバーサルからマネジメント・バイアウト(経営陣買収)を行いEBS Productions GmbH & Co. KG(以下、EBS)を設立しDGGのレコーディング部門を引き継いだ[参考文献1]。EBSは、2020年にDGGから独立して13周年を迎えたが、その中心人物が氏である。また、氏は、2001年から2013年までデトモルト音楽大学トーンマイスターコースの教授を務め後進の指導にも尽力してきた。私は2010年と2020年にEBSを訪問し、氏にインタビューさせていただいたが、音楽や録音の情熱を笑顔で語る姿はとてもエネルギッシュで忘れることはできない。
3. Emil Berliner Studios
氏がなぜダイレクトディスクを始めたか?それは、EBSの歴史を遡ることで察することができる。EBS の歴史は、1887年に円盤式蓄音機とレコードを発明者したエミール・ベルリナー(Emil Berliner)が生まれ故郷であるハノーファーでDGGを設立した1898年に始まった。EBSのWebページには、「この120年以上の間にテクノロジーと会社のオーナーは急速に変化した。テクノロジーは7インチのシェラック盤のレコードが12インチのLP、そしてCDとなり、スタジオ名の歴史は、シーメンスやフィリップス、ポリドール、ポリグラム、そして最後にユニバーサルミュージックとなった。」とある[参考文献2]。つまり、EBSの120年とは、ラッパに向かって演奏し空気の振動をそのままレコードに記録したアコースティック録音からマイクを用いた現代の電気的な方式、そして、記録再生方式もMono、Stereo、Surround、3D Audioそして、アナログからデジタルに進化した「録音の歴史」そのものである。
経営母体をみていくと、DGGは1898年に英グラモフォンの子会社としてスタートしたが、1941年、シーメンスが資本を取得しドイツ資本の会社となる。そして、1962年、オランダ、フィリップス・レコードと業務提携し、1971年には、シーメンス・フィリップス合弁の持ち株会社としてポリグラムを設立した。1980年代以降、フィリップスがソニーとともに開発したCDがリリースメディアの中心となった頃、ハノーファーのプレス工場は世界最大規模を誇った[参考文献3]。また、1990年代には、現在では当たり前となっているマイクヘッドアンプとADコンバーターをマイクの近くに設置してデジタル変換し、以降はデジタル領域で音声処理を行い、16bit以上のレコーダーで音声を記録する録音手法「4D Audio Recording」を確立。さらにサンプリングレート48kHzレコーダーの2つの回線を用いたダブルワイヤーによる96kHzの録音制作を行うなど、非常に高いクオリティのデジタル録音技術で原盤制作が行われていった。
そんな中、DGG Recording Centerは、1997年、ポリグラム・レコーディング・サービス、1999年、ユニバーサル・レコーディング・サービス、そして、2000年、創始者の名前が冠されたDGG / Universal 傘下のEmil Berliner Studios GmbHと名前を変えてきた。そして、2007年DGG / Universalは、Emil Berliner Studios GmbHから別れ、当時の経営陣による買収によりEBSは2008年に独立した企業、EBS Productions GmbH & Co. KGとなった[参考文献1]。そして2010年、EBSはハノーファーからベルリンに移り、クラシック音楽はもちろん、ジャズ、クロスオーバー、映画音楽の制作も積極的に行っている。また、2010年からダイレクトディスクの制作に取り組んでおり、2016年、2020年に発売したベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、バンベルク交響楽団のレコードはオーディオファンから注目の的となっている。
4. ダイレクトディスク・レコーディング
この録音方式は、音楽が演奏されているその瞬間に、マイクからの信号をカッティングマシンに入力し、リアルタイムにラッカー盤を削りレコードの原盤を制作する手法である。この方式ではテープレコーダーやDAWという録音編集機を一切用いず、マイクの信号をそのまま記録するので、音質的にはもっともロスがないということであるが、言い換えればそれは全く編集ができないということである。長年ハノーファーのエミール・ベルリナー・ハウスにあったカッティングマシンNeumann VMS-80とマスタリングコンソールNeumann SP 79は、2010年にEBSがベルリンに移転する際、現スタジオに持ち込まれた。私が2010年12月に EBSに訪問した際、マイヤール氏は、スタジオでダイレクトカッティングしたジャズピアノトリオのレコードを聴かせてくれたが、その時の私にはこのダイレクトカッティングがその後、現代のように注目を浴びるとは想像することはできなかった。
しかし、一体なぜこのような録音手法をマイヤール氏が行ったのであろうか。その答えは、2016年11月にベルリン・フィル・レコーディングスからリリースされた、サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「ブラームス交響曲全集」のブックレットにあった。ここには、「ダイレクトカット録音について」と題された約5000字からなる氏のメッセージが記されている。この文章は、音楽を録音することについて、私たち録音に関係している者にとってバイブルとなる内容であり、私の本心は、この文章全てをここでみなさんに伝えたいと思うが、それは、この限定販売されたレコードを手にした人のみ特権であるため、残念ながらそうすることはできない。今回は、その中から重要なセンテンスを紹介し、なぜ氏がダイレクトカット録音を行ったのかを察していきたい。
まず、文頭には、「響と振動について」と題し、「サー・サイモン・ラトルがフィルハーモニーの舞台に姿を現し、拍手が沸き起こる。やがて静寂が訪れ、会場の誰もが固唾を飲んで見守る。やがてオーケストラが最初の音を出し、我々は、人間が感知することのできる自然現象のなかで、もっとも素晴らしいもののひとつを体験する。音楽を聴くことである。」とある。これはなんと素晴らしい形容か。そして、次に「過去への旅」と題し、「ダイレクトカット録音は、ベルリナーによるレコード制作の端緒に立ち戻る試みである。磁気テープやコンピューター、編集作業、ポストプロダクションを全て省略することは可能だろうか。マイクをカッティングマシンの針に直接つなぐことができないだろうか。中間作業や機器を介さずに、レコードに直接録音することはできないだろうか。つまり、レス、イズ、モア(less is more = 少ないことが良いことであるという意)である。しかし勇気がなければできない。」とある。そして、「緊張との戦い」では、「ダイレクトカットは、編集と編集後の調整(ポストプロダクション)を行わない録音方法である。ラッカー盤はテープのように切ってつなぎ合わせることができない。録音済みの盤を全体として使用するか、ボツにするかのどちらかである。演奏上や録音技術上のミスはそのまま盤に刻まれてしまう。
-中略-このプレッシャーは今日の編集技術が生み出した弊害でもあるかもしれない。楽団員も修正ができないということに、まず気持ちの上で慣れなければならないのである。それゆえ、当盤はオーケストラ演奏会のライブ録音としては、非常に特殊で、実像に近いオーセンティックなものといえる。裏返して言えば、このプレッシャーが当プロジェクトの魅力だとも考えられる」とある。
いったいなぜデジタル技術で先駆者であったEBSが、ダイレクトディスクの制作を始めたのか?つまりそれは短い音声信号の電気的伝達経路から実現する「音質が良い」ということだけではなく、「演奏が魅力的になる」ということが一番のポイントではなかろうか。私たちは、氏が近年に行った3つの制作事例を深く知ることで、その「技術的制約から生まれる音楽の魅力」をうかがい知ることができる。
5. 制作事例
制作事例1 サイモン・ラトルBPOブラームス
概要
2016年11月にベルリン・フィル・レコーディングスよりリリースされたBPOのダイレクトカットLP第1段、サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「ブラームス交響曲全集」。2014年9月、EBSから500mほど離れたベルリン・フィルハーモニー、スタジオ4まで、カッティングマシンとマスタリングコンソールが運ばれた。BPOは音楽祭、「ベルリン音楽週間」の期間中、2週間でブラームスの4つの交響曲に取り組み、9月18日交響曲1番、9月19日交響曲2番、9月25日交響曲3番、9月26日交響曲4番がEBSチームによりダイレクトカッティングされた。BPOが最後にダイレクトカッティングの方式で録音を行ったのは、70年前で、このホール、ベルリン・フィルハーモニーでは初めてのことである。演奏、カッィングともにミスが許されない環境の中で制作されたこのレコードは全世界でブラームスの生年と同じ数である1833セット完全限定プレスされ、そのうち日本盤が500枚販売された。発売後、日本では大きく注目を浴び、3ヶ月でソールドアウトとなった。
マイクアレンジ
ブックレットによると、収録で用いたマイクは、Sennheiser MKH 800 TWIN 2つを90度に交差したブルームラインペアのみで、指揮者の1m後ろで4.5mの高さの位置に配置したとのことである。ブルームラインペアとは、戦前のイギリスのエンジニアであったアラン・ブルームラインが考案した双指向性マイク2本をほぼ同じ位置=同軸上に配置したステレオマイク方式である。つまり、L-Rの信号に、時間差はないが、レベル差と音色差がある状態で収録できる方式で、物理的に逆相の低域が入ったステレオ信号をカットすることが難しいレコードの記録を考慮したステレオマイクの配置である。尚、レコードの1つの溝の両側にL-R 2つのステレオ信号を45度の角度でカットすることを考案したのもブルームラインとのことで[参考文献4]、これらの天才的な録音技術と再生技術の繋がりには感服する。Sennheiser MKH 800 TWINは、単一指向性カーディオイドのダイアフラムが前後にひとつずつ付いており、それぞれが別々に出力できるコンデンサーマイクであるが、このときは、図のように2枚のうち裏側をミキサーで逆相にして足し合わせ双指向性=Figure of 8を得ていたと推測することができる。
制作事例2 ベルナルト・ハイティンク BPOブルックナー「交響曲第7番」
概要
2020年6月にベルリン・フィル・レコーディングスよりリリースされたBPOのダイレクトカットLP第2弾、ベルナルト・ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「ブルックナー交響曲第7番」。第一弾のブラームスと同様、2019年5月、ベルリン・フィルハーモニーにカッティングマシンなどが運ばれライブカッティングされた。ブルックナー解釈の第一人者として知られるハイティンクは、1964年に初めてBPOに客演しこれまで幾度となく名演を繰り返してきたが、2019年3月、90歳の誕生日を迎え、このコンサートの後の6月に現役引退を表明した。結果的にBPOとの最後の演奏となったが、その模様が克明に記録されている。LPはこの楽曲の初演された年にちなみ全世界で1884セット完全限定プレスされた。
マイクアレンジ
ベルリン・フィル・レコーディングスのWebサイトのクレジットには、この録音ではJosephson C700S、2本のJosephson C722S、2本のJosephson C617の計5本が用いられたと記載がある。ブラームス全集は、ブルームラインのワンポイント録音だったのに対し、この録音ではそれよりも多くのマイクが用いられているように感じ、マイヤール氏にインタビューしたが、ミックスのほとんどは、弦楽器と木管楽器の間に吊られたMSステレオ(Mid-Side Stereo)として用いたメインマイクJosephson 700Sとのことである。このマイクには一つの全指向性と向きが異なる2つの双指向性の計3つカプセルが内蔵されているが、それぞれをミキサーに立ち上げ、Mは全指向性と前後の双指向性を合成し単一指向性とし、Sは左右の双指向性を用いてMSステレオにしたとのことであった(図④)。
また、氏によるとL-R に用いられたJosephson C722Sは、EBSのために、前後のダイアフラムが別々に出力できるようにカスタムされたものとのことである。Josephson C617はOmniとのことであるが、この図や写真からは見えない天井に近いところにルームマイクとして設置されたとのことである。したがって、5本のマイクであるが実際にはこれらの計9つのカプセルが別々の回線でミキサーに接続され、ミキシングしダイレクトカットされたわけである。マイクプリアンプには真空管のSiemens V72s、ミキサーは1960年代よりDGGで用いられていた真空管式の12chが用いられたとのことである。
制作事例3 ヤクブ・フルシャ バンベルク交響楽団 スメタナ「わが祖国」
概要
2020年9月にライプチヒのアクセンタス・ミュージックよりリリースされたダイレクトディスクLP。チェコ出身の指揮者、ヤクブ・フルシャとバンベルク交響楽団によるスメタナ交響詩「わが祖国」。2019年7月、バンベルク響の本拠地、コンサートハレ・バンベルクにてダイレクトカッティングされた。BPOの2枚のLPは33回転/分であったが、本作はより高い音質を得るために45回転/分でカッティングされた。また、BPO はライブコンサートをダイレクトカッティングしたものであるが本作はセッション形式でダイレクトカッティングされている。LPは全世界で1111枚完全限定プレスされた。
マイクアレンジ
ブックレットによると、マイクは、Sennheiser MKH 800 Twinが2本とSennheiser MKH 30が2本用いられた。ブックレットの写真からは、指揮台後方で3.5mほどの高さの位置に、1m程度の間隔のABステレオで配置されたメインマイクSennheiser MKH 800 Twinと、スデージ左右のいわゆるアウトリガー(LL-RR)に当たる位置にSennheiser MKH 30が配置されているのがわかる。
ただ、ブックレットのマイヤール氏の解説文によると、ほとんどがMKH 800 Twinとのことである。それらの信号はアナログミキサーSonosax SX-ST8を介してNeumann VMS-80でカッティングされた。
6. インタビュー
トーンマイスター ライナー・マイヤール氏 メールインタビュー
2020年、夏から冬にかけてEBSのライナー・マイヤール氏にメールインタビューを行った。
- 哲学的な質問ですが、あなたはこのレコードを聴いたリスナーに何を届けたいのですか?
-
私がミュージシャンにダイレクトカッティングについて何を最も感じるかを尋ねると、彼らはほとんどの場合、「Honesty=正直・誠実」と答えます。私は音の再生におけるこの「Honesty」が好きで、コンシューマーにアナログのLPを介してそれらを伝えたいと思っています。
- なぜあなたはダイレクトカットを行いたいと思ったのですか?いつですか?そのきっかけはありましたか?
-
私たちは12年前にレコードのダイレクトカットを始めました。初めは楽しみのためだけでしたが、すぐに気づきました。ディスクに直接作業すると、演奏家はそれを意識し、録音の音楽的な結果が異なることがわかりました。ダイレクトカットと最新のデジタル録音と比較すると、3つの根本的な違いがあります。ダイレクトカット は、 1.ワークフローは100%アナログです。 2.ポストプロダクションはできず、再ミキシングや失敗を修正することができません。 3.最終的にリスナーによって再生されるものだけが録音されることとなり、それ以上でもそれ以下のものも存在し得ないです。これは、アナログのレコードを作成するための非常に高速で直接的かつ正直なアプローチです。例えば、今ではデジタルカメラで写真を撮るのはとても簡単ですが、フィルムを使用する場合、1枚の写真を撮って現像するために2時間ぐらい暗室に行く必要があります。つまり、もしフィルムで写真を撮影する場合は、事前に色々なことを考えなければならなくなり、それとダイレクトカットは似ていると思います。
- 現代主流のオーケストラの録音方法は、マルチマイクで、メインマイクシステム、スポットマイクがあり、ミキシングでは、タイムアライメントやリバーブも必要なことが多いですが、あなたのレコードの録音はとてもシンプルですね。2014年のラトルのブラームスのダイレクトカットは、Sennheiser MKH 800 Twinのワンポイントステレオでしたが、2019年のブルックナーでは3組のマイクを使用しました。なぜそのようにしたのですか?
-
私たちはサウンドの詳細をよりコントロールできるようにマイク配置を考えました。Josephson C700Sを使用して、ステージの中央にシングルポイントマイクも配置しました。このマイクはXYやMSに設定できますが、MSステレオとして用いました。このステレオのメインマイクに加えて、左右の弦楽器の上に2つのJosephson 722マイクを配置しました。これらのマイクにはアドバンテージがあります。C700Sには3つのカプセル、C722には2つのカプセルがあり、各カプセルから別々の出力を得られることができます。それによって、各カプセルの出力をミキサーでミックスすることができます。複数のカプセルをミックスするという事は、マイクの指向性を変化させることを意味します。適切な指向性を見つける事は、スポットマイクの使用を避けメインマイクだけを使用する時に特に重要です。ミキシングのレベルを上下させるのではなく、指向性を調整して得たい音をクリエイトする事でできるようになります。また、ルームマイクとして、さらに2つのJosephson C617をフィルハーモニーのステージの上のリフレクターパネルの上で天井の約2メートル下に吊るしました。このマイクは楽器の直接音が入っていない、ホールの反射音だけを捉えたいと思いました。
つまり、私たちにはセンターにC700SのワンポイントMSステレオシステムがあり、他のマイクは、ミックスに少し他の色を追加するために使用しました。良い音を出すにはたくさんの方法があります。マイクの配置、極性パターンの選択、レベルなど、非常に複雑な組み合わせがあります。私たちは、ワンポイントステレオだけではなく5つのマイクを設定したことで、より良いサウンドを実現するためのフレキシビリティが向上しました。
- なぜ、JosephsonのマイクとV72ビンテージヘッドアンプとミキサーを使用したのですか?
-
それはもちろんそのクオリティからです。これらは素晴らしく、他のミキサーを用いる必要はありません。
- 私はEBSに訪問したとき、カッティングマシンやマスタリングコンソール、マイクプリアンプを拝見させていただきました。これらをたった1kmですが、EBSからフィルハーモニーのスタジオに運ぶのはとても大変だと思います。このプロジェクトの準備スケジュールを教えてください。GPと5月9日(木)、10日(金)、11日(土)の全ての録音を行ったのですか?そしてリリースされたのは最後のコンサートテイクですか?
-
そうです、ノイマンVMS-80をレコーディングマシンとして使用することは、何十年もの間実践されていませんでした。私たちは、EBSからカッティングマシンをフィルハーモニーに移動した後、1日かけてもう一度注意深く調整しました。ブルックナーは、3日の本番とリハーサルがありましたが、私たちは全て録音し、オーケストラによって最後のコンサートが選ばれました。
- あなたは2018年のケルンでのトーンマイスターコンベンションで、レコードマスタリングにつてプレゼンテーションしました。私はあなたが様々な実験をしてベストなカッティングを見出していることがよくわかりました。今回のカッティングで技術的に配慮したことはなんでしょうか?ダイナミクスはマスタリングコンソールで調節しましたか?レコードにカッティングするために低域の位相、例えばティンパニやコントラバスなどの周波数である80Hz以下を調節したりしましたか?
-
ローエンドの位相が逆相でも、すべての信号をカットすることはできます。唯一の制限は、低音の逆相は、正相に比べ、レコードの表面ではるかに多くの場所を取るということです。そして、より多くの場所というのはより少ない記録時間を意味します。 2014年のラトルBPOのワンポイントのブルームラインステレオ、2019年のハイティンクBPOのワンポイントのMSはL-Rのチャネル間に時間差がないため、ローエンドの位相変調の制御に役立ちます。
- レコードは収録時間が長いほどカッティングの音量を下げないといけないと思います。ところがダイレクトカッティングでは自動レース送りができません。スコアを読んでいる方が、溝の間隔を指示したりしているのでしょうか。
-
その通りです。私たちの大きなチャレンジの1つは、ディスクの場所を使い果たすことなく高いレベルでカットすることでした。 そのため、いくつかのリハーサルを行い、アシスタントのアンネ・ターゲット(Anne Target)が交響曲の各パートの正しい設定をスコアに記録しました。最終的なLPの表面を見ると、溝のないスペースがほとんどありません。
- 収録は、カッティングマシン1台で行なったと思いますが、楽章の間にラッカー盤を交換したのですか?
-
カッティングマシンは1台のみ使用しました。ラッカー盤の交換には約30秒かかります。私たちは録音の準備ができたことを指揮者と演奏者にわかるように、ステージ上に小さな赤いライトを用意しました。
- あなたはジャズのダイレクトカット制作をしていますが、クラシックとジャズでは、その取り組みの方法は異なりますか?
-
新しい録音の場合は全て、最大限の配慮とそれぞれに合わせたセットアップが必要です。音楽ジャンルの違いはその一側面でしかありません。
- バンベルク交響楽団の録音はライブではなかったですが、どのように行いましたか?
-
バンベルク交響楽団のダイレクトカッティング制作では、私たちは贅沢な時間を過ごしました。これはライブではなくセッション録音でしたが、私たちには、6つのセッションがあり、私たちは良いバランスを得るマイク設定を見つけるためだけに1つのセッションを費やすことができました。バンベルクのこのホールのアコースティックは、ハイティンク BPOと比べて別のマイクのセットアップが必要だとわかりました。これは、どのような録音であってもふさわしい設定を毎回見つける必要があるという良い例だと思います。
- バンベルク交響楽団の録音のブックレットには、ブルームラインやOmniとCardioidを組み合わせたシュトラウスパケットなどをセッティングしている写真もありました。私は、それらをサウンドチェックで試したことを察しました。なぜこのバンベルク交響楽団のスメタナは、ABを用いたのですか?45回転と関係ありますか?
-
私は様々なマイク設定を試しました。 結局、この状況で最高のサウンドが得られたのでABを選択しました。なぜスメタナ「わが祖国」では、ABを用いて45rpmでカットできたかというと、「わが祖国」は6つの交響詩で構成されていますが、ポイントは各楽章の演奏時間が12~14分と短いということです。つまり、演奏時間が短いと3つの良い点があります。 A)45rpmでカットすることができ、33rpmよりも高域の周波数レスポンスが優れています。B)溝の幅を広げることができ、ローエンドで位相がずれている信号を回避する必要はありません。さらに、C)楽曲のダイナミックレンジが広い場合は、ソフトな演奏部分が多いため、録音時間を節約できます。 結局、「わが祖国」では、それら3つの良い点がすべて集まり、45rpmでカットすることができました。
- 次のダイレクトディスクの計画はありますか?
-
はい!しかし、録音が行われる前にそれを伝えることはできません。
オーディオ評論家 山之内 正氏インタビュー
2020年7月3日オーディオ評論家、山之内正氏の試聴室にて、ラトルBPOブラームス、ハイティンクBPOブルックナー7番を試聴した。そもそも、私が初めてダイレクトディスクを聴いたのは2016年、山之内氏のこの試聴室であり、私がダイレクトディスクに注目するきっかけとなった。2021年1月、今回のレポート寄稿に際し、メールインタビューを敢行した。
- これまで様々なオーケストラのCDやレコード、ハイレゾ音源などを聴かれてきたと思いますが、この3つのレコードにはどのような魅力がありますか?
-
どの録音も演奏家たちの作品への思いや指揮者への共感の強さを聴き取ることができました。演奏の流れが停滞しないので、自然に高揚感が湧き上がり、実演に近い鑑賞体験ができます。ラトルとBPOのブラームスは弦楽器に強い浸透力があり、旋律の力強さに加えて内声とリズムの動きやハーモニーの厚さが伝わってきました。ハイティンクとBPOのブルックナーは弦楽器と管楽器のバランスが自然で、弦と木管が同期して動く様子やワグナーチューバが加わった金管楽器群の柔らかい響きなど、聴きどころがたくさんあります。バンベルク交響楽団のスメタナは各楽器の音像が鮮明で、細部を正確に描写しつつ、オーケストラの一体感も引き出していることに感心させられました。このアルバムは45回転でカッティングしているためか、ダイナミックレンジと音圧感が際立っています。作品ごとに収録スタイルやマイクの組み合わせを工夫していることもそうですが、たんなる記録ではなく、レコード鑑賞の楽しさを意識して録音に取り組む姿勢が素晴らしいと思います。
- ダイレクトディスクとそうでない作品とはどのような違いがあると思いますか?録音芸術という観点から考えて他の方式とどのような違いがありますか?
-
ダイレクトカットは編集ができないという決定的な短所があり、演奏家に負荷がかかりますが、一回限りの演奏会で高い完成度を求められるのは実演も同じです。放送に加えてネットのライブ配信が増え、録り直しがきかない環境での演奏機会は以前よりむしろ増えています。なかでもダイレクトカットは最大級の緊張をもたらしますが、プロの演奏家はテンションが上がる状況でこそ本来の力を発揮する面もあります。聴き手にとってそんな演奏は願ったり叶ったり。正確無比な演奏や整ったアンサンブルにも価値がありますが、多少の乱れがあってもそのときだけの集中が生む高揚した演奏の方が感動を生むことは何度も経験してきました。一期一会の価値をもう一度思い出させてくれるという点で、ダイレクトカットには象徴的な意味があります。もう一つ、技術の視点から重要な側面もあります。マイクとカッティングマシンの間に入るのはシンプルなミキサーだけで、アナログだけの信号伝送はシンプルの極みです。マイクの選択と組み合わせを誤らなければ、優れたバランスと自然で立体的なステージ再現を両立させることもできます。高品質で利便性の高いデジタル録音に理論上は敵わないとしても、ダイレクトカットでなければ録ることができない音も存在する。マイヤール氏の一連の録音がそれを証明しています。
7. 終わりに
1980年代初頭からCDが台頭して以降、音楽をレコードで聴くということはメインストリームではなくなってきたが、なぜ氏がこのようにダイレクトディスクにこだわって録音をしてきたのか?最初はとても疑問であった。しかし、インタビューを進める中で、氏の「ディスクに直接作業すると、演奏家はそれを意識し、録音の音楽的な結果が異なることがわかった。」に全ての理由があると確信することができた。
つまり、ダイレクトカットでは編集ができないということを弱みにするのではなく強みとし、良い意味で演奏者にプレッシャーを掛け、結果的にスペシャルな演奏を導き出すことができるということである。
また、技術的な面では、MSやブルームラインというワンポイントマイクを用いたことは、逆相の低域をカッティングしづらいということだけではなく、何より時間差が多いABなどのマイキングではカッティングの幅を取り収録時間が短くなるという、レコードというフォーマットを考慮したからであるということがインタビューからわかった。同軸のワンポイントマイクは、現在の一般的なオーケストラ録音である全指向性のABメインマイクとスポットマイクを用いたマルチマイクとは双璧の関係であるが、一方で、時間差がない同軸のマイキングは、次世代の3D Audioフォーマットのバイノーラル再生ではとても有効な手法となっており、私たちにこれらのマイク配置と位相の関係をもう一度深く見直すきっかけを与えてくれていると感じた。
氏は、デジタル録音の黎明期からこの世界に入り、デジタルでのABロールテープ編集、DAWによる編集など全てを経験してこの世界を牽引してきたわけであるが、このようなダイレクトカット録音を再び行おうと考えたのは、「真の録音とは何なのであるか」を常に考えてきたからに他ならないと推察する。つまり氏が考える、「真の録音」とは、作曲家、指揮者、演奏家の表現物である演奏を、感覚的、精神的な高まりが最も得られるようにリスナーに届けるということでなかろうか。つまりこれこそが、「ダイレクトディスク・レコーディングの芸術」である。現在、デジタル技術の発達で簡単に音楽に接することができるが、氏の取り組みは、リスナーのみではなく、私たちのように録音に関わる者に、メディアを通して「音楽を届ける」ということの奥深さと意義を再度考えるきっかけを強く与えていると感じる。今後も、氏が制作する作品に期待せずにはいられない。今回、惜しみなく自身の実践や哲学について紹介いただいたマイヤール氏にあらためて感謝申し上げたい。
取材協力 : ベルリン・フィル・レコーディングス、アクセンタス・ミュージック、キングインターナショナル
参考映像
- Johannes Brahms, Symphonien 1-4 Sir Simon Rattle, Berliner Philharmoniker Berliner Philharmoniker Recordings
https://youtu.be/4fx15bVWWwQ - Anton Bruckner, Symphonien 7 Bernard Haitink, Berliner Philharmoniker Berliner Philharmoniker Recordings
https://youtu.be/litHFg-EYrg - Smetana, Má vlast(My Country) Jakub Hrůša, Bamberger Symphoniker Accentus Music
https://player.vimeo.com/video/434471476 - Sonosax – Rainer Maillard – Direct-to-Disc
https://youtu.be/MN08Oke6pmc
参考文献
- [1] “Emil Berliner Studios” en.wikipedia 2021-03-26. https://en.wikipedia.org/wiki/Emil_Berliner_Studios ↑ ↑
- [2] “It all started with Emil Berliner” EBS Web Page 2021-03-26. https://emil-berliner-studios.com/en/history ↑
- [3]“ドイツ・グラモフォン” ja.wikipedia 2021-03-26. https://ja.wikipedia.org/wiki/ドイツ・グラモフォン ↑
- [4] “Blumlein pair” en.wikipedia 2021-03-26. https://en.wikipedia.org/wiki/Blumlein_pair ↑
- [5] “Stereophonic sound” en.wikipedia 2021-03-26. https://en.wikipedia.org/wiki/Stereophonic_sound ↑
写真
- 写真②③④⑤ Emil Berliner StudiosのWebページ「historie」より許可を得て掲載。
https://emil-berliner-studios.com/historie - 写真⑩⑮ ベルリン・フィル デジタル・コンサートホールから許可を得て掲載。
https://www.digitalconcerthall.com/ - 写真⑮ JosephsonのFacebookページより許可を得て掲載
https://www.facebook.com/Josephson-Engineering-239940252697066/ - 写真㉗ベルリン・フィルのYouTube以下ページより許可を得て掲載
https://youtu.be/litHFg-EYrg
執筆者プロフィール
- 長江 和哉(ながえ かずや)
名古屋芸術大学 音楽文化創造学科 サウンドメディアコース 准教授 1996年名古屋芸術大学音楽学部声楽科卒業後、録音スタジオ勤務、番組制作会社勤務等を経て、2000年に録音制作会社を設立。2006年より名古屋芸術大学音楽学部音楽文化創造学科 専任講師、2014年より准教授。2012年4月から1年間、名古屋芸術大学海外研究員としてドイツ・ベルリンに滞在し、1949年からドイツの音楽大学で始まったトーンマイスターと呼ばれる、レコーディングプロデューサーとバランスエンジニアの両方の能力を持ったスペシャリストを養成する教育について調査し、現地のトーンマイスターとも交流を持ちながら様々な録音に参加しクラシック音楽の録音手法を研究した。2018年ベルリン芸術大学トーンマイスターコース、トースタン・ヴァイゲルト氏とともに、オーケストラ楽器録音におけるマイクアレンジ比較音源の制作を行い、楽器の放射特性を音として比較試聴できるWebページを制作し公開した。AES(Audio Engineering Society)日本支部役員、VDT Verband Deutscher Tonmeister会員