第1回の「音の匠」は、JR(日本旅客鉄道株式会社)から選定されました。これは、日本オーディオ協会を創立した時に、中島健蔵氏(初代会長)と井深大氏(第二代会長)が、当時の国鉄駅構内放送設備(PA:Public Address)の音質が海外の鉄道のそれに追いつくようにとの願いも込めていたというエピソードによるものです。
針谷様は路線の不具合を小ハンマーによる打音で判断し、長年にわたり鉄道の運航の安全に勤められました。
音の匠
「ハンマー音によるレールの保線技術」
第1回の「音の匠」は、JR(日本旅客鉄道株式会社)から選定されました。これは、日本オーディオ協会を創立した時に、中島健蔵氏(初代会長)と井深大氏(第二代会長)が、当時の国鉄駅構内放送設備(PA:Public Address)の音質が海外の鉄道のそれに追いつくようにとの願いも込めていたというエピソードによるものです。
針谷様は路線の不具合を小ハンマーによる打音で判断し、長年にわたり鉄道の運航の安全に勤められました。
1964年、東京鉄道管理局上野保線区線路工手として就職以来、30余年の長きにわたり保線を通じて列車の安全運行に貢献。今日では、レールの傷は超音波を利用したレール探傷車で対処しているが、導入以前は小ハンマーによる打音で判定を行っていた。現在でも探傷車の運行がない線路に対しては同様の方法で保線業務を実施している。またレール間をつなぐ継目板のボルト緩みも、ハンマー等による「音響」で発見し、締め直しを行っている。針谷様は、この面で優れた技術をもつ第一人者であり、後輩にその技術を指導・伝承にも務めている。